先日書いた某組織で活動されている方は本質的にはとてもよい方だと思うのです。「人間として正しい道を歩んでいきたい」「人の役に立ちたい」という気持ちをもっておられます。仕事に関しても「不正はしない」「ごまかしはしない」点において信用できるかたです。ただ、「私は神さまに選ばれた特別な人間で、正しい道を歩んでいる」と考えていることは常に現実の社会生活のなかで軋轢をうみます。正しさの基準は「本人の良心」ではなく「組織」にありますので、人生を歩むことによる「成長」があり得ないのです。その方は「正しい」組織に属した時点で、自分の人生における「魂の自由」を組織に預けてしまいました。行動の基準は「組織」です。
その組織は「布教」も正しい行動としていますから、訪問や街頭における活動もされているようです。そして日々人々から冷たい視線や冷たい応対をされて、心が痛んでいることでしょう。しかし、その方は「これも修行であり、艱難である」として「正しい」とおもっている道を歩んでいるはずです。御先祖様などには興味もないことでしょう。その方は家族で信仰されているのではなくご本人が自発的に入信したのです。ご両親(御先祖さま方)はどのように思われているのだろうと溜め息がでます。
私が何をできるか、そっと見守りながら考えていきます。