神楽によっては、地域内のみで行うものもあっただろうが、上沼田などは、戦前から他地区に頻繁に奉納に出かけていたと年配の方々が言っている。
一方で、地域から人が減り、衰退し、あるいは世の中が発展して娯楽が増える中、多くの神楽が幕を下ろしている。上沼田周辺だけでも、上沼田、佐古(その後、下須川に移る)、上須川、大原などに神楽があったらしいけど、今では上沼田、向峠に残るのみで、それ以外は途絶えてしまっている。
「子どもの頃に見た」という経験は大きいというが、昭和52年に当時の青年有志の発起により上沼田神楽を復活させた時も、昔からの地盤があってこその復活だったのだろう。
上沼田から山を降りた「佐古」という集落は、口ずさむ唄から、行波の神舞と同型の神楽が伝わっていたと思われる。・・・何故上沼田と違うんだ?という思いだが、上沼田神楽には安芸地方から石工職人等が来た際に教わったという記録があり、昔から神楽がありつつも、新たな流れを随時取り入れた結果、現在の形となったとされる。
・・・とすると、その昔にあったのは行波の神舞と同型の舞ということだろうか。 残念ながら上沼田神楽の発祥、伝承の記録ははっきりしたものが残っていないが、「明治のじいさんが子どものころにはあったらしい」という証言から、少なくとも江戸時代にはあったと思われる。
昭和56年にかなり調べあげたが、結局正確な発祥は不明だったという。 山代地域の他神楽との比較や、演目、伝承記にある地名等から、もう一度検証してみたいものです。
