趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪:塩津港

2013-03-11 20:53:16 | 塩津港、神社遺跡

私の故郷は古代からの重要港
        塩津(しおつ)港

 =今もその遺跡から宝物がざくざくと=

  
木簡、神社跡から津波の痕跡、港は埋め立て
          ♪ Kennyの滋賀から情報発信 ♪
      
(この日記の掲載期間:3月22日~3月28日、2013)

お願いです・・・・
冒頭からすんません m(-o-)m です、
どうか私の生まれ故郷  しおつ と呼(読)ん
でくださいね。 と濁らんのです。 この場を利用して
のお願いです。

過日は滋賀県南部のあるJR駅のアナウンスで「次に入ります 
のは おうみしおづ行きです」 ときましたね。このように間違っ
て記憶されている方が大変多いよう
です。湖西の海津や今津
なもんでね。 滋賀県
甲賀市も こうかではないん
です。 甲賀市の皆
さん これって本当に嫌ですよね (プンプン!)


  塩津港 発掘調査について講演される 横田洋三講師

さて本論です

その塩津(しおつ)港って?
私の故郷、塩津(元塩津村:現滋賀県長浜市西浅井町
で半世紀ほど前は ひとつの村でした
は古代から湖上
輸送における主要港(物流拠点)の地で琵琶湖の
最北にあり 塩津港は最大の港でした。

最大と云うのは船の数です。船の名前は丸子船
です。この度 滋賀県文化財保護課主催の歴史探
索講座で塩津港、その他 県内の遺跡発掘調査結
果発表会がありました。このブログでは私の最大
の関心事である塩津を取り上げます。(塩津港の
場所は下段に地図を添付しました)

     塩津港に関する過去の私(Kenny)の
            ブログはここを 

       そのー1 (琵琶湖にも津波、神社跡に痕跡が)
        そのー2 (丸子船、他)

                                             
 
        現場 発掘場所を矢板で囲み  左は国道8号線

   このページに掲げる写真は講座当日スクリーンで使用
     された映像資料を私、Kennyが撮影し
講師の横田洋三
     先生の許可を頂き掲載しております。 以下同様です。



      塩津港の航空写真 今回の発掘現場(右下 赤い

塩津港は埋め立てだった
もっともこれは周知の史実なのでしょうが、地元
出の私にとっては初めて知ったことでして、埋め
立てなんかしなくても港くらいいくらでも造れる土
地があるやな
いか、と。ところがちゃんと理由が
ありました。 それも平安時代に遡ります。

               ・・・・・・・・・・
         新資料入手につき追記:2021年8月

                                                塩津港、港町の様子(12世紀)

      

      
              港岸壁の西側 神社跡
           神社跡:中央の横線状溝、長方形の個所



      
       (上4点:滋賀県文化財保護協会主催の講座配布資料より)

  
               上下:2021年5月 撮影
  
                   港の岸壁跡の個所
         塩津港、発掘調査箇所:現在はバイパスの橋が架かる

         (以下の資料:財団法人 電源地域振興センターより)
     
            琵琶湖運河計画                 
                             この画面をクリックし
                           拡大してご覧ください
                          
                 ・・・・・・・・
          
    
         説明パネル             同、クリックで拡大

塩津港の今回の発掘地点が埋め立て地であっ
たこと。その理由、埋め立ての構造、出土品な
どは上のパネルに詳細があります。 パネル写
真はクリックで拡大出来ます。 ご一読下さい。
琵琶湖の水面は平安時代よりも上昇にしてい
るんですね。

写真と絵図で
私、Kennyの下手な講釈ではなくて、講師横田
洋三
(県、文化財保護協会)の許可を頂きまし
たので、以下も先生が管理の写真と絵図でその
様子を紹介します。実に見事な資料で理解し易
いです。

 
今は湖の底、発掘調査で解明された説明絵図  同拡大します

埋め立ての方法は
 
まず埋め立てる範囲に杭を打ちその杭を細い木
で杭を縫う
ように壁を作ります。底に木の枝を敷
き詰めます。石や土を盛っていきますが当時もや
はりゴミを捨てるように使っています。いろんなガ
ラクタが出てきます。お箸なんかも大量に。 その
中には札付木簡も。 


         
       出土の杭、絡ませた木々 石、土


            埋め立て範囲の杭、盛った石、土の概念図


      上の構造概念図で見る現場の写真 

 
大きな甕(かめ) 油を保存か?          井戸も発掘

常滑焼の大きな甕が埋め込まれてありました。当時
は液体物はこのような甕が使われていたそうです。
更に井戸が見つかりました。淡水湖なのになぜ井戸
が なのですが当時もゴミで埋めたてられるなど 水質
に理由があったのではと。

 
            発掘された札付木簡

この札付木簡 (税物などの荷に送り状として付けた荷札)
の裏側には米十石の代わりに栗毛の雌馬一頭を収
めますと書かれていました。 表には皇后宮御封米
と。サイズは78mmx4mm 杉材です。


今塩津港は
港として残ってはいますが、漁業に使われる程度と
理解しています。明治
に入って17年頃には国道と
国鉄(現JR)の普及で湖上輸送はその役目を
終え
ました。 輸送手段の丸子船も現存する船は博物館
丸子船の)と国道8線沿いの水の駅
展示の
二艘のみと聞き及んでいます。水の駅の丸子船は
店舗に向かって右
端の一角にあります。

     
     当 水の駅に展示の本物の丸子船 (Kenny撮影)

    
    塩津港から見た琵琶湖最北端(Kenny撮影)

     
    このように湾になっており、当時としても良港だった
    でしょうね。 鏡面の日が多いです。 国道8号線沿。 
    JR近江塩津駅から約3km。


この講座で:感謝

滋賀県文化財保護協会の横田洋三専門研究員
はこの塩津港
遺跡の発掘調査に携わってこられ
て私、kennyは先生の
講座を拝聴するのは今回
で三回目です。いつの講座でも貴重な資料を
準備
され 大変丁寧な解説に感動しております。

今回は埋め立て
が何度も繰り返えされている事を
突き止められて その解説の為
に上部から掘って
調査していきますが、私達への解説には一番底
から順番に絵図と実際の現場写真を照らし合
わせて
資料を用意し(上に掲載の資料はその一部です)
会場の受講者に分かりやすくお話くださいました。

郷土史愛好家はもとより、地元 塩津生まれ育ちの
私にとって特
に感慨無量の一日となりました。 

今日もご訪問下さいましてありがとうございます。


コメント (8)
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