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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの歴史探訪取材日記:余呉湖から高時川上流域-01

2013-08-21 07:57:41 | ブロガー:滋賀県の企画

余呉湖周辺から高時川上流域
  を訪ねて
 滋賀県長浜市余呉町
             第一部 (全3部)

   第一部は余呉湖周辺の伝説です

JR余呉駅から出発です
やって来ました、滋賀県の最北の町、余呉町です。隣りは福井県です。
戦国時代風に言えば、近江から越前の国境の町で、当時のメイン街道
北国街道が町の中心を走っています。長閑です。駅前の駐車場は無料
です。すぐ横は田んぼ、ちょっと先に目をやれば余呉湖の湖面が光って
います。更にその先には賤ヶ岳(古戦場)が見えています。私は今、その
昔、羽柴秀吉と柴田勝家が争った戦場のその正にまん真ん中に立って
おります。


            余呉湖の一角にある案内板  (撮影 2007年10月)

で、この一部では、戦国物の無粋な類のお話ではなく、余呉湖周辺
に伝わる伝説、ロマンを味わいに
探索をします。


          JR北陸線、余呉駅     駅前の広い駐車場は無料でーす

天女衣掛けの柳

むかし、余呉湖のほとりに伊香刀美いかとみ)という男が住んでいた。
桐畑太夫とする伝説もある:慶長17年 1612年の説)。男はある日、
湖畔に8人の
天女が舞い降り、水浴びするのを見つけた。その美しさ
に心惹かれた男が柳の木に掛けてあった羽衣ひとつを隠したので、一
番年下の天女(不運やなー)は天に帰れず、しかたなく男の妻となって子
を生んだ。 この後登場の菊石姫がその一人です。


                        天女衣掛けの柳

それから3年後、唐櫃にしまってあった羽衣を見つけた妻は、これを身
にまとって天にのぼり、姿を消してしまったという。なお、菅原道真がそ
の子であると伝える説もあります(後述)
。 

ところで、衣を掛けた木がこの余呉は柳、他の二か所は(後述)は松
の木
やそうです。ここの柳はしだれ柳とは違いますでしょう、アカメヤ
ナギ
と云って枝がだらりとはならない品種です。

場所は、JR余呉駅から余呉湖に向かって徒歩 4
,5分、すぐそこです。


                               現地の案内板

天女の銅像
余呉の天女伝説は日本最古の羽衣伝説の一つ。
天女の像が湖の近
くに建てられている。 ここ余呉湖の伝説、静岡県静岡市清水区の三保
松原に残る伝説、京都府京丹後市峰山町に伝わる伝説など、天女の
羽衣伝説は日本各地に残っている。一般的には①「羽衣をまとった天女
が降り立つ」②「天女に恋をする男が登場する」というのがどの物語にも
共通していることである。 場所は天女衣掛け柳
から100m位かな、の
所です。



                   天女像   後方は天女衣掛け柳

桐畑太夫屋敷前
昔、湖辺の村・川並に桐畑太夫という漁師がいた。あるとき、芳しい香り
にひかれるまま、一本の柳に歩み寄ると、色鮮やかなうすものが掛かっ
ている。うすものを取った太夫が振り返ると、美女がいて「私は天国の者。
余呉の湖の美景に憧れて年に一度、水浴びをしています。どうか羽衣を
返してください。」と懇願した。が、太夫は羽衣を隠して返さない。争った
果てに美女は天に帰ることを諦めて、太夫の妻になった、と・・・。先述は
伊香刀美説、ここでは桐畑太夫説を紹介しています。


       桐畑太夫屋敷があったとされるところ:正面の三角の木のあたり

      余呉湖を目前に見下ろせる山手にあります

ところで、この羽衣伝説は「帝王編年記」 養老7年(723)伊香刀美と
天女をめぐる白鳥伝説を伝える余呉郷南の伊香の小江は当余呉湖と
考えられていることから来ているそうです。

蛇の目玉石
桐畑太夫は余呉湖より二丁余り西、桐畑口というところに住んでいました。
都からの落人だそうです。やがて
太夫最愛の一人の女の子が生まれまし
た。
菊石姫です。ところが7、8歳になると次第に蛇体の姿となったので、
太夫も家に置いておくものではないと、屋敷から一丁余り東北の屋賀原と
いうところに仮家を建て、捨て置きました。

     
                            蛇の目玉石
     

この伝説、ちょっと長い文書ですが引き続きを・・、

食物も与えられなかったので、菊石姫のお守係の下女が憐み、自分の食
物を与えて養育していました。
18歳になると菊石姫は、ここにもいられない
と、ついに湖水に入ったのです。


そのとき、片目を引き抜き、「龍の目玉は宝や金では求め難いもの。大切
にしなさい。」と長く養育してもらったお礼として下女に与えました。
形見の
品として大切にしていた目玉だったが、やはり病を治すのによく効き、
その
他にもいろいろ不思議なことがありました。 

このことが上の人の耳に達し、差し出すように命じられました。
下女は仕方
がなく差し出しましたが、龍の目は両眼とも持参せよとのご上意で、片目し
かない訳を話しても追及は続きました

耐えられなくなった下女は、湖の西、新羅の森から「菊石姫、菊石姫」と呼
びました。
するとにわかに湖水が波立ち、水を左右に分けて乱れた髪がや
って来ました。
下女は「両眼を差し出せねば、火責め水責めにあう。」と訴
えた。
菊石姫は「養育の恩は深い。自分は両目を失っても命の別状ない。

しかし、盲目となったら時刻を知ることはできないから、湖水の四方にお堂
を建て、時を知らせる鐘をついてくれと、太夫に伝えてください」 といって
目玉を抜き、石に投げつけました。
目玉のあとが石に鮮やかについた。こ
の石を名付けて「目玉石」といいます。 石の裏(湖)側です。

蛇の枕石
目玉石の近くの湖中に長さ3尺横1尺ばかりの石があり、これを枕に菊石
姫はしばし休みました。
「これからは私を呼んではなりません。もし会いたく
なったらこの石を見なさい」 そういって湖中に消えていきました。
この石を
「蛇の枕石」と呼んでいます。 湖岸から覗き込みます。


                        蛇の枕石             

両眼を地頭に差し出した下女は助かったが、菊石姫の母はこのことを聞
いてから病の床につき、ほどなくしてなくなりました。
それからは太夫も病
弱になって、菊石姫のことを案じ、湖畔の7つの森にお堂を建てて、時の
鐘をつかせました。
菊石姫が盲目となってより、水青く晴天の日でも底が
見えなくなったといいます。

ところで、この菊石姫は天女と太夫に生まれた一人で、この伝説もやはり
天女伝説と関係します。もう一人の男の子は後の菅原道真と言い伝えら
れています。


                      鳥帽子岩・お膳岩

鳥帽子岩・お膳岩

余呉湖放水隧道(第2部で触れます)の近くにあります。 鳥帽子岩・お膳
岩、この岩を北側から見ると烏帽子に見える ことから烏帽子岩の名
で親しまれていますが、男岩・女岩の2つの岩がひとつに重なって い
るところから、『結びの岩』とも呼ばれています


 
             烏帽子岩                    お膳岩

また、菅原道真が烏帽子を掛けた岩、供え物を載せたと伝わる岩とも
伝承されています。

引用させて頂いたHP,ブログ
探索地の説明については当日配布の資料を参考に、そしてその殆どを
下記各団体HPにあります記事から引用させて頂きました。 
奥びわ湖観光協会 余呉支部            
http://yogokanko.jp/node/60 

滋賀の文化魅力再発見
http://mizutakara.shigabunka.net/e808392.html

これらの地の探索
余呉湖の周囲は6Kmです。ここまで記載した観光箇所はすべて余呉湖
周辺にあります。また、第二部でUPの余呉湖送水、放水隧道も同様です。
JR余呉駅からぐるりと一周をレンタルの自転車で、または歩いてみるのも
選択肢の一つかと思います。


        余呉湖の西側半分は自家用車一台が通れる狭い道です

なお、車での移動は、特に余呉湖の西側は車、一台の道幅の箇所
何か所もあります。カーブではスピードを落とし、すれ違いスペースを利
用して譲り合い、安全運転をしてくださいね。

******
 
                           第二部に続く・・・

さてこの次の第二部は「余呉湖の今と昔」です。 ご訪問いただければ
幸いです。 ありがとうございました。
                                                (ブログ管理者、Kenny)


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