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Kennyの歴史探訪:安土城下町と安土街道

2013-08-15 15:28:02 | 安土城址

安土城下町と安土街道を歩いて
=現在の城(址)から一歩外に出てみると=
   数々の遺跡、今も残る神社仏閣が
      Kennyの滋賀から情報発信

          
         (この日記の掲載期間:8月23日~8月29日)

この記事の後に、今開催の写真展の情報も掲載しています
        合わせてご覧頂ければ嬉しいです

現在の城(址)から外に出て
黄金色の天主に代表される安土城、ちょっと安土城を見てこよう
か、と訪れるのは、1989年から2009年に亘って発掘調査され、
本丸に続く大手道や秀吉の屋敷跡などが整備された現在私達が
見る安土城址です。

        
              発掘復元整備された大手道 2011年撮影
                (両サイドに秀吉など家臣の屋敷跡があります)

私が35年前にこの山に登った(当時は狭い登山道があり、天主へ)
この大手道は土の中に埋まっていました(のでしょうね)。 当時、
山道はこの埋まった大手道の上にあったのかな?
            



      観音寺城の繖山(きぬがさやま・右の山) 安土城の山(左)

地元安土町のガイドと県の専門職の皆様のご案内で
ところがなんと云っても天下統一の象徴、信長の見せる城、権
威を誇る城、信長の安土城下町は楽市楽座まで築いた一大都
市であった訳で、その繁栄は短い期間ではあったとしても、立派
に今に伝える街道、遺跡、神社仏閣などから伺い知れます。もっ
とも私の思いは、更に多くの遺跡が発掘され(眠っているのでは
と・・・)現在に伝えて頂ければと贅沢なことを考えています。


 今回の探索ルート図 (滋賀県教育委員会文化財保護課発行)

                                    
                        (同地図、クリックで拡大します)

こんなところを見てきました(上に地図)
浄厳院
(じょうごういん)、沙沙貴神社(ささきじんじしゃ)、安土街道、
寺内浜
(じないはま)、常楽寺湊(じょうらくじみなと)木村城跡、
浄楽寺の湧水池
惣構どて(そうがまえどて)、貞安(ていあん)。 

以下、当日のレジュメを参考に、また現地案内板を引用させて
頂くなどで、それぞれの概要を私の言葉で記録しました。

 浄厳院

                                浄厳院


                                  現地案内板
        
             寺宝 当寺のパンフレットから
                

沙沙貴神社
中世近江を支配した近江源氏佐々木氏の氏神として知られて
います。天正9年(1581)に信長から雁、鶴を与えられた返礼に、
町人たちがこの神社で能を催したことが「信長公記」に記されて
います。境内には佐々木氏ゆかりの石造物が多く残されています。
山道に建つ灯篭は丸亀京極家から寄進されたものです。また、
日露戦争で活躍した乃木希典(のぎまれすけ)が寄進した石灯籠と、
自身で植えたとされる松の木があります。


                                     乃木希典の言葉の碑

 
 乃木希典が寄進した石灯籠    丸亀京極家から寄進された石
灯篭        

 
境内の なんじゃもんじゃの木    上の写真:2009年5月当神社で撮影   
(花)が有名です 

安土街道 


信長の妻子を避難させた時に使った道

常楽寺の集落から蒲生郡条里に沿って南に延びる街道です。きぬが
さ山と竜石山の間が南腰越峠で、ここからさらに八日市へと至ります。
本能寺の変の時、蒲生賢秀(ひでただ)が息子の氏郷をこの峠まで呼
び寄せて妻子共に日野へと向かいました。

寺内浜

          石垣が船入状に積まれています
寺内浜は琵琶湖の西の湖に接するあたりを指します。詳細は解明
されていないようですが、常楽寺湊のすぐそばにあることからその湊
の一部であった可能性もあるとのことです。


常楽寺湊


                       流通の要所として重要な湊でした
               (解説される滋賀県文化財保護課、松下浩先生)


中世から近世にかけて、近江湖東地域の物資、流通の要所として重
要な役割を果たしてきました。信長が安土に城を築いた理由のひとつ
として、この常楽寺湊を城下町に取り組む意図があったとの解説でし
た。 以降、鉄道の開通まで機能していました。

常楽寺の湧水地


                        音堂 (おとんど)

この付近は、伏流水となった愛知川の水が湧水する場所の一つと
なっています。中でも梅の川と呼ばれる湧水は茶人として有名な
井夕庵
がこの湧水を使ってたびたび茶を点て信長に献上したと言わ
れています。


                             梅の川

惣構どて
現在は、土手の痕跡は全くありません。江戸時代の絵図に「惣講どて」
が描かれているそうです。また別の古文書にも書かれていると。


           安土町公民館の南側付近にその場所が

この土手がどうしたの? なんですが、実は安土城下町の内部構造
考える手がかりになるんだそうです。 城下町の二つの見方であり、
一つは、近世城下町的(江戸期的)な捉え方で土手の内外による住み
分けの始まりが見られる。 もう一つは戦国時代(信長の頃)の土手を
挟んで領主の権利が強く及ぶ内側と、そうでない外側と考えられると
のことです。これはもう超専門分野でのお話で、私自身もよく理解は
出来ておりません。


                         当日の受付風景 JR安土駅

年間を通して毎月のようにこのような歴史探訪を催して下さいます。
この日も参加者が多く二班に分かれて探索し、主として滋賀県教育
委員会文化財保護課の仲川 靖先生、松下 浩先生が詳しく解説
されました。

    
     今日もご覧くださいましてありがとうございました

         ***************

         写真展のお知らせ

              八田正文デジカメ教室
                 4教室合同写真展「滋賀を撮る」

       会期:8月27日(火)~9月1日(日)
             9時30分から17時(入場は16時30分まで)

                場所:滋賀県立近代美術館ギャラリー
                               (入場無料)
                   
               詳細です
           
   



                77名の生徒の作品が並ぶ美術館ギャラリー


                 熱心に作品を鑑賞される来客者


            作品を評価、生徒に指導される八田正文先生(中央)

              私、Kennyも2作品参加させて頂きました 

                 会場には  8月28日 午後

                 8月30日 午後

                 9月 1日 午後

                 いる予定です       
               
                    
                  ご来館頂ければ大変嬉しいです

                            (ブログ管理者:Kenny)




 

 

 

 

 

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