5人の爺さん、自転車を漕いで
小堤城山城
今は 城址巡り をしています
そのー3(全8回)
ナマズーーーう~?
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記のTOP掲載期間:5月14日~5月20日)
野洲市内の城址:六角氏家臣の城がほとんど?
この城址歩きは、私 Kennyの担当です。訪ねた城は何度か訪問済
です。下調べをするとこれらの城はほとんどが六角氏の家臣の城(館)
だと気がつきます。でー、この小堤城山城はれきとした六角氏の重要
なお城でした。
県道2号線から小堤城山城のある山頂が斜めの山が見えます
さて、いつものように団地の東屋から出発です
5爺集合
TAMさんが、現れました、ママチャリで
手前のレリーフは 妓王 妓女、お二人は当地、野洲のお生まれです
妓王 妓女 (ウィキペディア)
YASさん登場
自転車を漕いで30分、そこから目指す小堤城山城への桜並木を歩く元企業戦士
つい一か月前は淡いピンクの桜が満開で大勢の花見客だったことでしょう
企業戦士なんて昔の話、今は歩けば疲れる、
先ずは休憩、給水 & ウグイスのさえずりを
案内板で現在地周辺を確認 ここを入りいよいよお城址への道を辿ります
この案内板のところを右折して山に入ります
この城は山城、標高差300m程の登山です。皆さんやや緊張気味
矢穴 が見えます。 お城址とくれば石垣、土塁、堀切、虎口なんて用語が
矢穴 このお城の特徴の一つは立派な石垣です。このお城では
元々あったおきな岩をそのまま利用したり、山の中にある大きな
岩を割って、それを積みあげたりもして石垣を築きました。
その石を割るクサビを入れる穴が矢穴です。大手道に残るこの石
もこの城址の名物です
主郭が有ったであろうという曲輪(くるわ) 解説坂前で語り合う友
上下はこのお城の解説です
KAKさん、名残り惜しそうに今一度 石垣に目を
技術もまだ十分整っていないであろうこの時代に、高くて立派な石垣
上の写真の反対側方向から 立てかけたストックの長さがが 1.2m
私はこの城跡に友を案内する時に必ず見て貰うここでは一番大規模
な石垣で、高さは2m以上もあります。それと信長の安土城よりも前に
六角氏は既に石垣を多用して城を築いていたことも注目されています。
ん? ここが 虎口(こぐち)かと、目を向けるKAK爺さん、MRY爺さん
Kenny爺の知ったかぶりで、ここがお城の入口、こぐち 言うんやでー、
に、なんでトラやねん、と。 はい、私もいまだにわかりません。
単なる城の入口ではなく、敵はここで四方からの矢、鉄砲玉の攻撃を
受ける構造になっているんやからと、その場を凌ぐKenny爺。 でも
今は鉤型に曲がった道とは分かるがそのイメージは浮かばないよな。
堀切の底を歩く MRYさん & KAKさん
城山最上部到着です 見張り櫓があったのではと
360度の展望です
駐車場に自転車を置き、40分、主郭、大規模な石垣、堀切などを見た
後、遠くから見るとてっぺんが傾いた山、その城山山頂に到着です。
希望が丘文化公園、三上山
昼飯中のええ加減談義
この日は黄砂がひどく、遠望は効きませんが、360度の展望を眺めなが
らおにぎりタイムです。
水茎岡山城址のある山が琵琶湖の手前に
さて、お待たせ~ ナマズ~ 鯰江城の話
ところで、佐々木六角氏の滅亡は? となり、私、Kennyは湖東で
八日市に近い場所なんやが、お城の名前が出てきません。
信長に攻められ追われて、何とかいうお城で、というと、KAKさんが
友から譲られた近江の城(址)全部が網羅された、城名一覧表付き
地図を持参。 その方角にまなまずえ城が六角氏滅亡の地と書いて
あると! そうか~ ナマズ やった
鯰江城 (ウィキペディア)
さー、みんなでその鯰江城址の名前を暗記するのに暫し、なまず、
うなぎ と言いながら下山の和気藹々の城址巡りでした。
小堤城山城についての私(Kenny)の過去のブログです
(当城の詳細はここをクリックしてくださいね)
今日もご覧くださいましてありがとうございました。