お田植えまつり
悠紀斎田(ゆきさいでん)
滋賀県野洲市の悠紀斎田記念田で毎年行われています
Kennyの滋賀から情報発信です
(この日記の掲載期間:6月5日~6月11日)
野洲市に住んで40年、始めて見ました
今、住んで、越してきて本当に良かったと当時の決断を自画自賛して
いる私達の滋賀県野洲市。 それは先ず、三上山(近江富士)から日
々、元気を貰っていることです。
そしてこの地にも色んなお祭りがあります。その一つが今日のお話の
「お田植えまつり、悠紀斎田(ゆきさいでん)記念田」 です。
踊りと苗植を奉仕されます 背後の山は 三上山 です
昔ながらのすげ笠、緋(ひ)ばかま、手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)姿で数
え歌や太鼓に合わせて、踊りと田植を奉仕されます
踊りは悠紀斎田御田植歌(下段に歌詞を添付)にあわせて奉仕されます。
歌詞:クリックで拡大します
毎年、5月の第四日曜日に
今年は5月24日、式典が10時から 、お田植は10時30分からでした。
お祭りが行われ、苗植された悠紀斎田記念田 (後日の撮影です)
同、悠紀斎田記念田 背後の杜は御上神社です
お田植えまつり、悠紀斎田とは?
“野洲の米”は「おいしい近江米」として知られています。
昭和3年の昭和天皇即位式に続いて行われる大嘗祭に供える米を作
る田(悠紀斎田・ゆきさいでん)に野洲郡三上村(現在の野洲市三上)の
大田主粂川春治氏が選ばれました。お田植まつりは、これを記念して毎
年5月の第4日曜日に行われます。 (当日配布のお祭りパンフレットからの部
分引用)
同 別角度から
会場・駐車場
会場で頂いたパンフレットから引用 上の歌詞も同じ
あとがき:
実は私・・・、今回、このお祭りに偶然出会いました。その日も三上山登山
でした。 下山途中、賑やかな大太鼓の音が。おっ、田植え祭りだ! と急
ぎましたが、もう終盤でした。短時間ですがなんとか間に合った次第です。
ビデオ映像でちょっと雰囲気を お田植えまつり
↑ ここをクリックしてください
そんなことで、 踊りの最後のほんの一コマ(40秒)ですが
ご参考までに:
悠紀斎田、大嘗祭、新嘗祭、悠紀斎田と近江に関するネット情報
今回を機にアクセスしましたネットでの情報を紹介します。 勝手ながらここ
に引用させて頂きますことをお許しください。投稿されたブロガーの皆様に
感謝致します。私自身、今まで、らしい、程度の知識でしたので、大変勉強
になりました。
そのー1
悠紀斎田(ゆきさいでん)とは、天皇即位の儀式で一世一度のみ
宮中で行われる神事「大嘗祭」に献納するお米を作る〝田〟のこ
とです。「悠紀(ゆきのように清らかに)斎田(整えられた田)」という
意味だそうですが、少なくとも天武天皇の即位神事から営々と受け
継がれ、昭和天皇即位の大嘗祭では近江野洲の田んぼが選ばれ
ました。俵藤太郷の伝説が残る三上山の麓の田んぼでは、いまも、
昔ながらのすげ笠、緋ばかま、手甲、脚絆姿で数え歌や太鼓に合
わせて踊りと苗植えをする記念の祭りが行われています。
そのー2
大嘗祭とは、天皇の即位後、初めて行なわれる新嘗祭(にいなめさ
い)のことをいいます。新嘗祭は、天皇が稲の初穂などを神に捧げ、
天皇自身もそれを食べ豊穣を祈る、宮中で代々行なわれてきた儀
式です
そのー3
理由は定かではありませんが、平安中期の10世紀から江戸時代
まで、大嘗祭の悠紀斎田は、近江国(滋賀県)から選ばれています。
このうち、半分以上は野洲川流域の水田でした。野洲川下流域は、
古くから上質な米の産地であったいわれています。歴代の悠紀斎
田が集中していることも、これと無関係ではないのかも知れません。
お祭りの詳細投稿ビデオ映像にヒットしました
引用させて頂きます。投稿者に感謝します
今日もご覧くださいましてありがとうございました。