『鋼』を観た感想について、知人と熱く語っていると、いつの間にか戦争論的な話に発展。
(ま、正直、こちらの知識というか、思想というか、が浅薄なもののため、発展というほどではないんですが)
たかがアニメ、と思うなかれ。
まかりなりにも戦争について語っているアニメを見て、そういった事を考えるってことは、(作った人たちが本当にそこまで考慮したか、はともかく)すごく必要だと、思う。
単純にキャラ萌えしたり、つまんなかった、の一言で終わらせていいような歳でもないので、この際だからいろいろと自分なりに考えてみようか、とも思ってます。劇場公開が落ち着いたら、まじめに感想上げようかな。
で、エウレカを観てて思った事など。
これまでの塔州軍との戦いで、敵KLFをバッサバッサと倒している訳で、当然パイロットは死んでたりもしますよね。
でも、エウレカはともかく、レントンもそれに対して何の躊躇もない。
これは、制作者側の意図するところとして、『エウレカセブン』という作品で描きたい事は『戦争の悲惨さ』では無いからなのかな、と思ってます。
だからこそ、敵KLFパイロットの顔を出さない(例の目ん玉ヘルメット)という演出をしているんではないか。
これがガンダム系アニメなんかだと、メカとしての敵を倒す事には何の躊躇も無かった主人公が、その操縦者たる人間の死を目の当たりにした途端、戦えなくなったりする。でも、なんだかはっきりしない『それでも僕は戦わなくちゃいけないんだ』的な心の整理をして、再び戦えるようになる。(じゃ、どういう心の整理ならいいんだ、と云われると私自身困りますが、、)
あ、でもガンダムSEEDでキラがアスランとお互いの憎悪をむき出しにして戦った後、再びMSに乗ってから現在に至るまで、敵MSのパイロットを殺さないようにMSを破壊している、という描写には感心してます。(あ、クルーゼは倒したかな?)
だから、エウレカではレントンがこういった葛藤をするような話はやってほしくないなぁ、と願ってます。
今のノリで天然系(ドミニクとかね)をうまくちりばめながら、話を進めてほしいですね。
あぁ、でも今週あたりから雲行きが怪しくなってきてるような、、、
(ま、正直、こちらの知識というか、思想というか、が浅薄なもののため、発展というほどではないんですが)
たかがアニメ、と思うなかれ。
まかりなりにも戦争について語っているアニメを見て、そういった事を考えるってことは、(作った人たちが本当にそこまで考慮したか、はともかく)すごく必要だと、思う。
単純にキャラ萌えしたり、つまんなかった、の一言で終わらせていいような歳でもないので、この際だからいろいろと自分なりに考えてみようか、とも思ってます。劇場公開が落ち着いたら、まじめに感想上げようかな。
で、エウレカを観てて思った事など。
これまでの塔州軍との戦いで、敵KLFをバッサバッサと倒している訳で、当然パイロットは死んでたりもしますよね。
でも、エウレカはともかく、レントンもそれに対して何の躊躇もない。
これは、制作者側の意図するところとして、『エウレカセブン』という作品で描きたい事は『戦争の悲惨さ』では無いからなのかな、と思ってます。
だからこそ、敵KLFパイロットの顔を出さない(例の目ん玉ヘルメット)という演出をしているんではないか。
これがガンダム系アニメなんかだと、メカとしての敵を倒す事には何の躊躇も無かった主人公が、その操縦者たる人間の死を目の当たりにした途端、戦えなくなったりする。でも、なんだかはっきりしない『それでも僕は戦わなくちゃいけないんだ』的な心の整理をして、再び戦えるようになる。(じゃ、どういう心の整理ならいいんだ、と云われると私自身困りますが、、)
あ、でもガンダムSEEDでキラがアスランとお互いの憎悪をむき出しにして戦った後、再びMSに乗ってから現在に至るまで、敵MSのパイロットを殺さないようにMSを破壊している、という描写には感心してます。(あ、クルーゼは倒したかな?)
だから、エウレカではレントンがこういった葛藤をするような話はやってほしくないなぁ、と願ってます。
今のノリで天然系(ドミニクとかね)をうまくちりばめながら、話を進めてほしいですね。
あぁ、でも今週あたりから雲行きが怪しくなってきてるような、、、