ツキノウエ on the moon

なんとなく日記

劇場版『鋼の錬金術師』感想

2005-08-15 23:59:00 | アニメ
さて、公開からだいぶ日も経ったので、自分なりの感想など。

作品全体の出来からすれば、まぁありかな、と思う内容でした。
(ウィンリイが可哀想すぎるとか、大佐もあっさりエドを行かせるとか、ありますが)

でも、性格的なところで気になる点はいろいろとあります。
(以後、こちらの世界を『現実世界』あっちの世界を『錬金術世界』と記します。
 いまのエドからすると、どちらが現実なのでしょうね、どちらも、、、なのかな?)

歴史のずれ
TV版最終回でエドは現実世界のロンドン爆撃に直面していました。(間違ってたらすいません、うろ覚えです)
あれは1916年のロンドン爆撃と思われます。
で、最終回最後では1921年ミュンヘン、、、当初は二つの世界では時間の流れがちがうのかな?などと思ったんですが、劇場版では1923年で錬金術世界でも同じ2年の経過、、、まぁ、パラレルワールドの時間軸がまったくもって平行などという事はない、という事で片付きますがね。
あと、ハウスホーファーも劇中で殺されちゃってますが、実際は1946年までは生きてます。

ロケット工学について
これも歴史のずれなんですが、そもそもが1923年のミュンヘン一揆に無理矢理話を合わせようとしたために、あの時点で実現できていなかったロケットエンジンをああも容易く(スポンサーがついたというだけで)製造してしまうあたりが、無理矢理感たっぷりです。あの時点であんだけ飛んでたら、V2はもっと早い時期から兵器として十分に戦力となったはずです。
だいたい、ロケットエンジンなのに扱いがジェットエンジンっぽいあたりもストーリーのその時点ではどうでもいい事になっちゃっているのが残念です。

活きていないキャラたち
劇場用キャラクタたちのどうにも活かしきれていない扱い方。
ハイデリヒは登場しょっぱなから『ゴホゴホ』しちゃってて、あからさまに観客に『やっぱりエドのために命落としちゃうのかな?でも、余命幾許もない体だから、それも本望かもね』なんて事を刷り込んでる。しかもその命張っての行動さえ、結果的にエドが戻ってきちゃってるから、無駄になってる、、、犬死にだ。
ノーアはノーアでもっとキーになるのかと思いきや、単にエドの記憶を読んで扉を開く代わりになるだけ、しかもそれが無効だとわかったら、ポイッとされちゃう。だいたい彼女は何を代価にエドを裏切ったのか、もはっきりしてない。
彼女の『ワタシの国が欲しかった』には『国、国か。ずいぶん大きく出たな』としかコメントしようがありません。ジプシーである事に誇りを持ち、だからこそ自分たちの事を『ヒト』と呼んでいた彼女の台詞とは思えなかったから。
エッカルトにしても錬金術世界に行きたがったのは『当初は力が目的だったが、錬金術を目の当たりにして、(錬金術が)怖くなった。だから破壊する。』という実に都合のいいように、物語終盤で『狂人』になってくれます。
そもそも、『怖い』んだったら開くなよ、とか思いませんでした?皆さん。
だいたい、あの時代に女性があそこまでの地位を手に入れているのも、ちょっとおかしいです。まぁ、もともと男性なんですがね。男性なら、あの狂人っぷりも多少は納得できます。あれは女性的ではない、という感想を女性から聞きましたが、確かになぁ、と思いました。
(最初に かとうかずこ ありきで考えられたそうなので、しょうがないんでしょうが。)

現実世界から錬金術世界へと行きたがる理由
エッカルト達、トゥーリ協会はホーエンハイムに唆されて、力としての錬金術を欲する訳ですが、それならそれで素直に錬金術を手にするために扉を開く、という話でいいのではないでしょうか?
わざわざ冒頭で科学者ハスキソンの作ったウラニウム爆弾を話に絡める必要性はないように思います。
彼の言い草も大したもんです。『長年、鉱物の採掘に長けてきた我が一族であれば、このような爆弾を作る事はいとも容易い事』などと云ってたかな?野菜じゃないんだからさぁ。
そもそも劇中に写真だけしか出てこなかったウラニウム爆弾が錬金術世界で作られたものだ、という断定を誰がしたんでしょう?
確かに現実世界での原子力開発の始まりを1938年のウランの核分裂発見あたりからと考えると、その10年以上前に既に爆弾として機能するものがある、となると脅威となるのはわかりますが、それを敢えて『鋼の錬金術師』という作品の世界とくっつける必要はないと思います。そういうネタをやりたいんであれば、そういう話を作りなさい。
アニメだから、別にそこまで小うるさく考えなくても、と思う方もいるのかもしれませんが、必然性のない小道具として扱うにはヒットラーや原爆は軽率すぎるんじゃないか、と考えるんです。

アルの失った記憶
TV版最終回でアルは肉体を取り戻しましたが、エドとの4年間の旅の記憶は失っていました。
(これをワタシは鎧アルとアル別人説などと突拍子もない考えに結びつけましたが、)
これについてもなんだかはっきりとした説明なしに劇場版最後で等価交換がどうのこうので戻り始めてました。
(すいません、ここ本当になんで記憶戻ってきたかわかんないんです)
ですが、ひねくれた見方をすると(いつもしてしまうんですが)、これはラース(とグラトニー)を扉に錬成するがためだけの伏線なのかな、と思っています。
エドとのあの4年間の旅の記憶を持ったアルであったら、あそこでラースを犠牲にする事は出来ないんではないか、と。
13歳の『あの苦しみを知らない』アルだからこそ、とっさに扉を錬成してしまった。とうぜん、その行為を兄にどう咎められるかという事も知らずに、です。
そうそう、イズミ師匠も完全に犠牲者です。彼女に逢えるならラースは死んでも『でもお母さんには逢えたからね。』なんて思ってもらえますからね。都合がいい。


冒頭で『まぁあり』な内容といいつつ、ずいぶん突っ込んでます。
(本当はエドが錬金術世界に戻ってくれなかったのがやっぱり気に入らないからかもしれません。)
でもね、戦争を題材に選んだのであれば、時期が時期だけにそれなりの配慮というものを持つべきだと思うし、TV版を映画ありきの形で終わらせたのであれば、きちんと作ってほしかったんです、なんか辻褄合わせに人を殺したりするのはやめてほしかった、と思った次第です。

あ、あと、可哀想なウィンリィのために何かこうエドとアルの二人が向こうの世界でも元気にやっている事が伝わる、後日談的なものが欲しかった、です。
『良かった、元気にやってるのね、エド、アル』的なやつ。だって可哀想なんだもん。

んー、感想としてはなんとも希薄な、語り尽くされた感漂う微妙なものになっちゃいましたかね。。。。
コメント (1)
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