ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

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昭和40年代前半の鉄道写真(7)

2014-12-05 | 昭和40年代の鉄道(東海道線他)

国鉄準急時代  "比叡"と"東海"

昭和33年、電車特急"こだま"のデビューに合わせて、準急用電車として153系が製造された。
最初に東京・名古屋間の準急"東海″、名古屋・大阪間の準急″比叡″に投入され、東海形電車と呼ばれた。
湘南電車と同じ湘南色が採用されたが、貫通式の前面はオレンジ一色の塗装であり、斬新なイメージで登場した。

庶民にとって初めて体感する国鉄の近代的電車で、小学生時代の家族旅行でこの電車に乗って京都まで行っている。
39年の新幹線開業時まで、名古屋以西に全車自由席の"比叡"、全車指定席の"伊吹"が同じ区間で運行されていた。
いずれも準急であるが、"伊吹"は停車駅が少なく、特急と遜色ない所要時間でダイヤが組まれていた。
まだ普及期にあった座席指定を取って乗ること自体を自慢するような時代であった。

東海道線の全線電化は、最後に残された米原・京都間の完工により31年に完成した。
翌年に80系300番台の湘南電車で準急の電車運転を開始、153系はその置換えで時代の流れは急速であった。

まずは、40年代を通じて何度も乗車した"比叡"の準急時代の写真から。

準急"比叡" ヘッドマークは急行と共用で外縁は空色と記憶 隣ホームに名古屋駅名物の立食いのきしめん屋


準急"比叡" 一世代前のヘッドマーク

1965.10  名古屋駅

36年から製造の高運転台のクハ153ー500番台 導入の経緯は踏切事故時の対策、時代を感じさせる

1965.12  名古屋駅

上り準急"比叡" 東海道を疾走 後部から

1966.3  東海道線 稲沢駅付近

準急"比叡" 先頭車補完用の165系を連結

1965.6  名古屋駅

41年3月、旅客運賃制度改定で100キロを超えて走行する準急は急行とされ、"東海"、"比叡"は急行に格上げになる。
その後、43年10月のダイヤ改正で国鉄の全ての準急列車が消滅している。

急行"比叡" 低運転台のクハ153と159系臨時列車が並ぶ

1966.3 名古屋駅

準急時代の上り"東海"      ヘッドマークの外縁は赤

1965.10 名古屋駅

急行時代の下り"東海"

1966.3 名古屋駅

すでに普通電車にも運用されていたかあるいは回送 ヘッドマークがないと随分印象が異なる

1965.9 名古屋駅 


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