ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(55・名鉄)

2015-04-14 | 昭和40年代の鉄道(名鉄)

<名鉄>パノラマカー

昭和36年、運転室を2階に設けて前面を展望席にしたパノラマカー、7000系が登場した。
豊橋・新岐阜間の特急に投入され、特急料金が不要である大衆特急車としては日本一のデラックス車といわれた。
地元のマスコミが盛んに採上げ、当時は名鉄に留まらず名古屋のシンボルといっても過言ではない存在であった。

主要機器は5500系を基本とし、空気バネ台車を使用した車体側面が固定連続窓の2扉車である。
冷房、転換クロスシートは勿論のこと、名鉄名物のミュージックホーンを装備してスカーレット一色に塗装された。
前照灯はシールドビーム4灯を備えたが、複層の平面ガラスの前面形状は当時でも野暮ったく感じたのは否めない。

踏切事故が多発する時代であり、課題の安全対策として油圧ダンパー2本が前照灯と一体化して設置されていた。
前面ガラスから最前列客席までダンパー収納スペース、冷房装置で距離を保っていたのである。

7000系は全て電動車で、先頭車7000形、中間車7050形、7150形の各2両の6両固定編成である。
1次車は3編成が製造され、本線特急のうち毎時1本はパノラマカーとすることで運転が開始されている。
翌37年に2次車の4編成が製造され、38年からは後述する改良型の7500系の投入が始まった。

その後、42年の3次車は、支線特急用として4両固定の5編成が製造された。
車両直前の駅構内の踏切安全確認のためにフロントアイを装備して、以後、支線運用に使途が広げられていく。
一方、一時期は8両に編成変えする等多様に運行され、7000系は50年の9次車まで116両が量産された。

いつでも乗れる身近な特急電車で、最高110km/hを示す車内のデジタル速度計の動きを見るのが楽しみであった。

撮影当時は、6連運用の7000系パノラマカーである。7編成が本線特急で運行されていた。

7000系6連の新岐阜行特急

1965.9 神宮前・金山橋

7000系6連の豊橋行特急

1965.7 須ヶ口駅

パノラマカー登場の2年後の38年、7000系の改良型で、高速での加速性能を向上させた7500系が製造された。
回生ブレーキ、電子装置による定速度制御を導入、電子頭脳車と称されたものの、初期はトラブルが多発した。
7500系は低重心設計のため、7000系と同じ高さに設定した運転室が屋根から上にやや突出した形状である。

7000系同様、全て電動車であり、先頭車7500形、中間車7550形、7650形各2両の6両固定編成である。
まず4編成が製造され、従来の7000系と合わせてパノラマカーでの本線特急運転は毎時2本になった。

39年、名鉄のSR車としては初めての非電動である中間付随車7570形4両が製造され、7連運転を開始した。
同年には、2次車、6両3編成も製造され、パノラマ特急の増発体制が整備されていった。

42年、前述した中間付随車7570形を電装化、3次車として新造した同形4両を組入れることで8連運転を開始。
その後、45年には全編成とも6両に戻すことになり、最終の6次車は先頭車のみが製造されている。

7500系は計72両で、支線用に幅広く使用された7000系より先に製造を終了し、引退時期も早かった。
特異な仕様で他系列と併結できず、本線以外は犬山線、常滑線、河和線に運用が限定される等の制約によるためであった。

撮影当時は、6連及び7連の7500系が計7編成で、7000系と共に本線特急で運行されていた。

新一宮に入線する7500系の豊橋行特急、右は尾西線、左奥は国鉄尾張一宮駅

1965.8  新一宮駅付近

7500系7連の豊橋行特急の通過と名鉄バス

1965.8 国府宮駅

7000系同様運転室の出入りは側面のステップ、新川橋を渡る7500系豊橋行特急

1965.7 須ヶ口・新川橋  

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平成19年、長きに亘り活躍したパノラマカーが翌年に営業運転を終了するとの新聞記事を目にした。

思えば鉄道少年時代のパノラマカーは、当たり前過ぎる存在でフィルム代を節約するために殆ど撮ることがなかった。
42年を経て19年の大晦日、7000系4連のパノラマカーを撮影してきた。7500系は17年に廃車済であった。
フロントアイを装備してはいるものの、逆富士形といわれた行先表示板は変わらず、懐かしい姿を見せてくれた。
普通電車のパノラマカーにはいささか淋しい気分にさせられたが、これも時代の流れで致し方ないか。

枇杷島分岐点を行く7000系犬山線普通




新装の行先表示板、犬山線経由の新岐阜行準急

2007.12 東枇杷島・下小田井

かつては予想もしなかった津島線、尾西線へのパノラマカー、佐屋行普通






辛うじてパノラマカーの急行が来た、犬山線経由可児行急行

2007.12 東枇杷島駅


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