鳥まり、参る!

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日々のいろいろなことを記録しています。

激ダサおしゃれテクニック(言語矛盾)。

2019年09月21日 | 女磨き
【ウエストが省略されてしまう…】

私は骨格診断ウェーブタイプなんで、ウエストマークが大切なのだそうです。

トップスをボトムスに入れたり、短めのトップスにしたり、ベルト(飾りベルト)して

「ここがウエストです!」

ってわかるようにしたりね。

一番

「今日はカッコいいね」

と言われやすいのはトップスが体のラインをある程度拾ってくれるコーディネートですね。

特にジャストサイズのリブ素材などはありがたい。

ボトムスはふんわりラインでもいいし、タイトでもどっちでもいいらしい。

対して、困るのはボトムスに入れ込んでもウエストマークしても動きとともにふわふわ膨らんでしまうトップスです。

ふんわりブラウスとシャツが特に鬼門。

というのもそこまで素材が伸縮しないので布地がたっぷりあるでしょ?

で、バストのところからズドンと落ちるじゃん。

しっかり入れ込んだりスカートの下からひっぱっても(これ、めちゃくちゃ楽しい!)動いてるうちにたゆんできてしまうという。

ふんわりブラウスとスカートの組み合わせで特になりがち。

結果として見事にウエストが省略された雪だるまシルエットになってしまう…嬉しくないよ…。

骨格ウェーブさんでも全身細い人ならそこまでじゃないんだろうけどねぇ。

私はなるんだよ。

【めっちゃダサい!でもシルエットキープ!!】

この雪だるまシルエットにさせないための、こっそりやってる私のおしゃれテクニックがある。

ダサいなんてもんじゃないくらいダサいけど、外から見るとかなりマシなの…。

やり方は簡単。

トップスの下部分をストッキングorタイツ(ガーターベルトタイプではなく、パンスト型ね)の中に収納してからスカートorパンツ(ズボンね)をはくだけです。

ダサいでしょ?

ダサすぎてヤバイでしょ。

なんだけどストッキング・タイツだとちゃんとキープしてくれるんだよ~。

「雪だるまになってない~」

と感動するのです。

服の下はめちゃくちゃだけど

あと、ボトムスのウエストサイズがゆるいとうっかり見下ろしたときストッキングが見えそう(笑)。

サイズ選びは慎重に~。

この記事読んで

「ヤバいw」

と笑ってる人がほとんどでしょうが、もしかしたら一人くらいは

「私も私もー!

 同じ悩みもってた~!」

という人がいるかもしれないのでその人のために書きました。

参考にしたい猛者は実践してみてください





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自分と他者との境界線。

2019年09月21日 | シリアス
【あなたと私とは別の人間同士だから】

ちょっと思い出したから書かせてください。

私の卒業した大学は宗教の授業を必ずいくつか単位をとらなきゃいけないという謎ルールがあった(当時は。今はわからない)。

ヤバイ先生もいたし普通の先生もいたけど、中でも特別

「これは気持ち悪いな~」

と思ったのが割と若く可愛らしい先生でした。

女性です。

最初の授業で

「はーい、皆さん、左手あげてください

 この手は~…誰のもの?

 自分のものだって考えるでしょ?

 違うの!

 こ~れ~は~神さまのものなの

 (なんかよくわからん謎演説が続いたあと)

 私たちは神さまの道具なの

 さあ祈りましょう!

 神さま、私たちの体をつかってあなたの崇高なる目的を果たしてくださあい

と言われ、私は

「ヤバい、気持ち悪すぎて吐きそう」

と思ったし感じた。

90分の長いこと長いこと。

気持ち悪すぎてこんな時は睡魔もよってきちゃくれない。

授業終わりに仲良しのコたちにこのまんま伝えると

「わかる~同じー!」

「私も吐きそうだった

「こんなにヤバイ先生やとって大丈夫なのかこの大学

とみんな同じこと思ったようで…。

ちなみにこの先生、こんなこと言うわりに本人はとても幼稚で意地悪で、

「女子小学生かよー」

と思う低知能な嫌がらせをしょっちゅうやってくる人でもあった。

私はターゲットにされたことはないけど、

「バカじゃねーの」

と思って見ていた。

まあさ、信仰ってのは本人の自由なのでもちろん彼女が自分の身体を神さまの道具だと認識するのは全くかまわないのだが

「私はこう考えてるんだから、これが唯一絶対の真理なの。

 私の考えるのと同じにアンタたちも考えて、感じて、言う通りに行動しなさい!

 できないのは罪だから罰する!

 私にはその権利がある!
 
 むしろそれが義務!」


なーんて考えていたのは、自己と他者の境界線を侵略する行為です。

わかるかな?

こういうことです。

自分と他者との境界線がない状態というのは。

自分の心と相手の心がちゃんと別々に存在していない、同じにしてやろう、のっとってやろうって状態。

そして、そういった侵略をゆるしてしまうほど弱った状態。

心を守る壁がなくなってる・あるけれどとっても弱くてもろくなってる状態ですね。

【ハートを否定され続けるとどうなるか】

というわけで、身体で考えれば実にわかりやすいことで、AさんとBさんという二人の人間が存在していたらそれぞれのボディパーツは

・Aさんの腕

・Bさんのおでこ

・Aさんの眉

・Bさんの足首

というように全く別々のものですよね。

二人はお互いに独立して存在しています。

見りゃわかる、文章にしてしまうとむしろ

「当たり前だろうが、だからどうした」

感が出てきてしまうレベルの話。

このことは理解できるのに、ちょっと心(ハート)の領域になると人間は“別々の独立した存在”であることを忘れがちになってしまう。

・親子なんだから同じ価値観で当たり前

・男(女)はみんな〇〇って考えてる

・恋人(夫婦)なんだからわかってくれるはず

・うちの会社の人間なら、こう考えるのが普通


などなどです。

急に同一視しやすくなってしまうんですよ。

お互い別々の心と身体を持って存在しているのだから、そうとは限らないのに。

そもそも“似た気持ち”と“同じ気持ち”も全然違うしね。

「Aさんと、〇〇というところは共感できるけど、××というところは理解できない」

「Aさんは好きだけど、Aさんが大好きなCさんのことを自分は好きじゃない」

よくあることです。

相手の心…考え方や好き嫌いが、自分のそれとごちゃごちゃになってわけわからないことになってしまう。

すぐ自分の気持ちが変わってしまう。

不安になる。

こういう状態が、自己と他者との境界線がぐらっぐらな状態。


私の姉なんかもグラグラでした。

長女はだいたいいつも人に優しくなくて、年下に対しては(私ももちろん含む)特にバカにするヤツだったのですが、次女は私と1対1でコミュニケーションしてる時はどちらかといえば妹思いの優しいお姉ちゃんだったのね。

なのに、長女と一緒になると次女は人が変わったように意地悪になって一緒にいじめてくるわけよ。

言ってることもやってることも1対1の時と真逆?ってくらい変わっちゃう。

長女も長女で、次女と一緒になるとすべてがエスカレートしてそりゃーひどいこと言ったりやったりするわけだ。

二人とも境界線ぐらっぐら(笑)。

で、こういうことにどうしてなってしまうかというと

「自分の心をいつも否定され続けた結果なんじゃないか」

と私は考えてる。

例えば、小学生の娘さんが

「ダンスを習ってみたいなー」

と言い出したとして、お母さんはヒップホップダンスを娘に習ってほしい。

でも娘はバレエを習ってみたい。

とする。

これは単純に好みの問題で、どっちがいい悪いって問題じゃない。

けどここでお母さんが

「バレエなんてダメ、そんなの好きなんてお前はおかしい!

 ヒップホップダンスを習いにいけ!

 そーすりゃ間違いないんだから!!」

と言い出したらそれは境界線の侵略、相手の心をぶっこわす行為です。

「お母さんはヒップホップダンスが好き。

 バレエじゃなくてこっちを習いにいってほしい」

というだけの話じゃないですか。

(まー、この言い方も柔らかで無垢な幼子には境界線侵略になるか?

 比べさせて娘さん自身に選んでもらうのがいいのかも)

で、こんな感じの侵略行為は家庭で・教育の現場で・職場で・恋愛で・友情で…つまり人間関係においてしょっちゅう起こってるのですよ。

これは英語圏出身の先生が話してくれた自論なんだけど、日本語って主語がなくても成立する文章が多すぎるらしい。

「私は嫌い」

「俺は好き」

と言うべきところを

「嫌い」

「好き」

だけで成立しちゃうよね。

で、これこそが日本語を母語とする人が他者と自分を混同しがちにする社会につながり、心を病む人が多いのもそのせいなんじゃないの、と。


私はすごく納得できましたよ、この考え方。

目的語も述語も省略しやすいしね。

何もかもがぼんやりぼんやりさせられる。

私は日本語で書かれた文章が大好きだけど、こういうネガティブにつながりやすいクセはあるなって思います。

文章の上手い下手ではなく

「何が言いたいのかわからない。

 支離滅裂」

な文章多いもんね。

私がいうなって感じか。

すいません。

【私の身体の中に、私の心がある】

というわけで自分の感じ方・考え・思い=ハート。心。を否定され続けると、自分の中に心が入ってない気がして

「正解はなに?!

 正解にならなきゃ!」

と外に完璧なすがりつけるものを求めるようになる。

自分の心がダメだから、ダメじゃない何かを詰め込みたくなる。

詰め込みやすいのはなんとなく日常で見聞きするものだよね。

昔ならテレビ、今ならネットで大声で主張される何か。

あと、なんといっても身近な人達。

家族、学校の先生、友達、恋人。

といっても彼らの言葉を形成するのがやはりテレビやネットなら同じかな。

それが正しいかなんてわからないし、心に正しい正しくないのジャッジメントは不要なはずなのにね。

「自分が・どう感じるか(考えるか、思うか)」

なんだから。

自分のハートに自信がない時の私は

「これを信じればいいんだ?」

と思ったら無防備にそうしようとしたし、でもそれをやっても私のじゃないから合わないことが多くてストレスで、心身に不調をきたした。

「これが幸せってことなんだから、感謝しなきゃ」

「働くってこういうことなんだから、我慢しなきゃ、慣れなきゃ」

「これが世間の考え方なんだから、100%同意しなくちゃ」

という風に。

書いてるだけで病気になりそう(笑)。

もっと自分の心をもっていいのに。

あ、心を大切にする=自分勝手に生きていい、みんなに迷惑かけていい、私が幸せなのがみんなの幸せ!!っていう流行りの謎ムーブメントとは違うからね。

みんなの幸せを自分で決めつけてる時点で己が境界線ぶち壊しにいってるじゃない。

昨日

「心の港をえれば、境界線を取り戻して自分の心がちゃんと回復していく」

と書いたのは、安全地帯を手に入れて心の治療をするってことですね。

安心できないと休めないし、休めなければ回復しないのだから。

不健全なコミュニケーションスタイル=境界線無視して自分の心を破壊されまくり。に慣れてきた人はそういうものしか知らないから

「安全な場所は、自分に全て賛同してくれる人。

 自分を褒めておだててくれる人」

とまたまた不健康な考え方をしてしまいがちなんだけど、安全地帯っていうのはそういうことではありません。

「あなたの言う通り!」

「あなたが正しい!」

「あなたが素晴らしい!」

ではなく

「あなたは、そう思った(考えた、感じた)んだね」

とそのまま受け止めてくれることです。

つまり

「自分はAだと思ったけど、そうか、あなたはBだと思ったんだね」

ってこと。

同意じゃなくて尊重、かな。

本当に同意する場合もあるけれどね。

Bと思ったことを無理やりAに矯正されずにすむ、Bだと思ったことを否定されないですむ。

そこが重要ポイントよ。

心の中は自分のも他者のも聖域で、荒してはいけない。

ってことを教えてほしかったし、そのように過ごしてきたかったなと思うよ…最初からね。

そうじゃなかったからこうして書いてるわけですが。






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