※例え話として書いています※
【被害者が幼い人への加害者になる前に】
「私、欲しいものはなんでも手に入るの。
ついには欲しいものなんてなくなるくらいに!!」
…と、『王家に捧ぐ歌』のアムネリスのような女の子がいたとする。
(『王家に捧ぐ歌』はオペラ『アイーダ』をモデルにした宝塚歌劇団のミュージカルで、アムネリスはエジプト王ファラオの跡取りである美貌の王女。
初演では檀れいさんが演じられました)
彼女は美しい人気者であるだけでなく、大金持ちのお嬢様。
彼女と縁ができればあらゆる“セレブ特権”にあやかれるし、ましてや結婚すれば莫大な財産が手に入る。
その上彼女に子を成し自分の子どもを産んでもらえたなら…一生簡単には切り離せないつながりを持つことができる。
そんな欲望の標的になりやすいお嬢様がいたとして。
「こんな綺麗な女性がいるのかと、一目で貴女に夢中になった!」
と言って一目惚れしたと、君しか見えないと、どうか恋人になってほしいと猛アプローチしてきた若い男がいたとして。
彼は素晴らしい恋人で、お嬢様にあらゆる喜びを与えてくれる。
当然彼女は夢中になり、そんな時に彼からプロポーズされれば喜んで受け入れる。
若い二人が結婚するとすぐに子宝に恵まれ可愛い可愛い赤ちゃんが生まれて…。
…そう。
妊娠・出産・産後、とくれば数年育児をしてその先には子育てが長く続く。
そんな
「じゃあやめる」
がぜったいにできない状況になってはじめて。
夫が女を愛せないひとで、君のことはたしかに一時期愛したけれどもう出来ない、と言われたら。
多様性・新しい時代…そんなのを盾に、お姫さまは嘆くことすらゆるされなかったとしたら。
お姫さまの沈黙を皆好き勝手に解釈し、自分の通したい主張のために利用する、なんてなったら。
…なんたる生き地獄であろうか。
お姫さまおいたわしや…。
と私は思うなあ。
「性愛がともなわなくったって子育てはできるし家族になれる」
それはお姫さまが決めることだよ。
お姫さまは性愛を伴う夫・パートナーと家族になって子育てしたいかもしれない。
でも言えないんじゃないの?
「性愛のために夫を捨てた、子を捨てた」
って言われそうだから。
性愛のために誰かを犠牲にしてるのは実は夫の方かもしれないのにね。
「花婿さまは子育てしてる」
今も?
証拠なんて庶民がつかめるの?
「花婿さまはお姫さまとお子様を大切にしてる」
大切にするってなんだろうね。
相手があることは、相手が決めることだよ。
節目節目のお祝いごとに一人ぼっち、遊びにいってしまう、お姫さまは悲しいかもしれない。
…例え話だけどとても辛い。
これ男女逆転で考えても辛いんじゃないかな。
特に男性の方、想像してみてよ。
あなたが大金持ちの家に生まれ莫大な財産を受け継ぐ男の子だったとして。
大金持ちの男の子が、理想どおりのかわい~い女の子に猛アタックされて付き合って
「こんなに愛せる女はいない!
俺ってなんて幸せなんだろう!!」
と歓喜に酔いしれプロポーズされて結婚して、かわいい子どもを産んでもらったところで
「実は自分は同性しか愛せない。
でも一時期貴方を愛した気持ちに嘘はない。
だけどもう自分に嘘はつけない。
離婚したい。
でも一緒に住んで家族でいよう。
でも恋やセックスをもう自分にぜったい求めないで」
…この物語の方が性愛を大切にする人の戸惑いを想像しやすいんでは。
男女逆でも辛いことはやっぱり辛いと思いますよ、私は。
さて。
私が一番心配してしまうのは、この時点で被害者であるお嬢様(お坊ちゃん)が、本音を誰にも言えず辛い辛い気持ちを押しこめて耐えて耐えてを続けていった果てに、逃げ場のないお子さんの人生で自分の辛さを取り戻そうとしてしまうこと。
子どもを自分の小さな恋人・愛人にしてしまうか(愛玩子)、虐待したりしてストレスのはけ口にしてしまうか(搾取児)、とにかく子どもは邪魔だとして育児放棄してしまうか(放置児)、これら全てかいくつかの組み合わせか。
被害者が逃げ場のない幼い子どもに加害者となってしまうのは最悪のバッドルートであり、残念ながらよくある現実でもある。
私は、お嬢様(お坊ちゃん)にぜったいぜったいそんな悲しき怪物になってほしくないのだ。
彼女(彼)は優しく魅力的で純粋ないい人なんだから。
悲劇を回避するために、私は彼女(彼)にとにかくこれをすすめたい。
信頼できるマトモなプロにとにかく自分の気持ちを語ってほしい。
言葉になりにくいのなら、それをちゃんとわかって
「こういう気持ち?それともこっち?」
と一緒に言葉にしていく手伝いができるプロと長く時間をかけて、とにかく自分の感情を言葉にしていってほしい。
信頼できるカウンセラーや、ぜったいに秘密厳守できる相手と心に向き合ってほしいんです。
今は触れるのも痛いだろうけど、放置するとどんどんその痛さは深く深く自分を侵食していって壊すから。
どうかカウンセリングいってほしい。
…まあ、それが出来る人が少ないし、カウンセリング文化って日本に根付かないし、セレブならなおさらいえないのだろうけど。
それでもどうか
「語る」
をあきらめないでほしいのだ。
辛さも苦しさも上手く付き合っていけるようになるかもしれないし、人生長いのだからこの先いくらだって幸せになれる。
希望の第一歩は語ること。
話を聞いてもらうこと。
私はそう思うから…どうか生きてほしいのです。
例え話ですよ。
【被害者が幼い人への加害者になる前に】
「私、欲しいものはなんでも手に入るの。
ついには欲しいものなんてなくなるくらいに!!」
…と、『王家に捧ぐ歌』のアムネリスのような女の子がいたとする。
(『王家に捧ぐ歌』はオペラ『アイーダ』をモデルにした宝塚歌劇団のミュージカルで、アムネリスはエジプト王ファラオの跡取りである美貌の王女。
初演では檀れいさんが演じられました)
彼女は美しい人気者であるだけでなく、大金持ちのお嬢様。
彼女と縁ができればあらゆる“セレブ特権”にあやかれるし、ましてや結婚すれば莫大な財産が手に入る。
その上彼女に子を成し自分の子どもを産んでもらえたなら…一生簡単には切り離せないつながりを持つことができる。
そんな欲望の標的になりやすいお嬢様がいたとして。
「こんな綺麗な女性がいるのかと、一目で貴女に夢中になった!」
と言って一目惚れしたと、君しか見えないと、どうか恋人になってほしいと猛アプローチしてきた若い男がいたとして。
彼は素晴らしい恋人で、お嬢様にあらゆる喜びを与えてくれる。
当然彼女は夢中になり、そんな時に彼からプロポーズされれば喜んで受け入れる。
若い二人が結婚するとすぐに子宝に恵まれ可愛い可愛い赤ちゃんが生まれて…。
…そう。
妊娠・出産・産後、とくれば数年育児をしてその先には子育てが長く続く。
そんな
「じゃあやめる」
がぜったいにできない状況になってはじめて。
夫が女を愛せないひとで、君のことはたしかに一時期愛したけれどもう出来ない、と言われたら。
多様性・新しい時代…そんなのを盾に、お姫さまは嘆くことすらゆるされなかったとしたら。
お姫さまの沈黙を皆好き勝手に解釈し、自分の通したい主張のために利用する、なんてなったら。
…なんたる生き地獄であろうか。
お姫さまおいたわしや…。
と私は思うなあ。
「性愛がともなわなくったって子育てはできるし家族になれる」
それはお姫さまが決めることだよ。
お姫さまは性愛を伴う夫・パートナーと家族になって子育てしたいかもしれない。
でも言えないんじゃないの?
「性愛のために夫を捨てた、子を捨てた」
って言われそうだから。
性愛のために誰かを犠牲にしてるのは実は夫の方かもしれないのにね。
「花婿さまは子育てしてる」
今も?
証拠なんて庶民がつかめるの?
「花婿さまはお姫さまとお子様を大切にしてる」
大切にするってなんだろうね。
相手があることは、相手が決めることだよ。
節目節目のお祝いごとに一人ぼっち、遊びにいってしまう、お姫さまは悲しいかもしれない。
…例え話だけどとても辛い。
これ男女逆転で考えても辛いんじゃないかな。
特に男性の方、想像してみてよ。
あなたが大金持ちの家に生まれ莫大な財産を受け継ぐ男の子だったとして。
大金持ちの男の子が、理想どおりのかわい~い女の子に猛アタックされて付き合って
「こんなに愛せる女はいない!
俺ってなんて幸せなんだろう!!」
と歓喜に酔いしれプロポーズされて結婚して、かわいい子どもを産んでもらったところで
「実は自分は同性しか愛せない。
でも一時期貴方を愛した気持ちに嘘はない。
だけどもう自分に嘘はつけない。
離婚したい。
でも一緒に住んで家族でいよう。
でも恋やセックスをもう自分にぜったい求めないで」
…この物語の方が性愛を大切にする人の戸惑いを想像しやすいんでは。
男女逆でも辛いことはやっぱり辛いと思いますよ、私は。
さて。
私が一番心配してしまうのは、この時点で被害者であるお嬢様(お坊ちゃん)が、本音を誰にも言えず辛い辛い気持ちを押しこめて耐えて耐えてを続けていった果てに、逃げ場のないお子さんの人生で自分の辛さを取り戻そうとしてしまうこと。
子どもを自分の小さな恋人・愛人にしてしまうか(愛玩子)、虐待したりしてストレスのはけ口にしてしまうか(搾取児)、とにかく子どもは邪魔だとして育児放棄してしまうか(放置児)、これら全てかいくつかの組み合わせか。
被害者が逃げ場のない幼い子どもに加害者となってしまうのは最悪のバッドルートであり、残念ながらよくある現実でもある。
私は、お嬢様(お坊ちゃん)にぜったいぜったいそんな悲しき怪物になってほしくないのだ。
彼女(彼)は優しく魅力的で純粋ないい人なんだから。
悲劇を回避するために、私は彼女(彼)にとにかくこれをすすめたい。
信頼できるマトモなプロにとにかく自分の気持ちを語ってほしい。
言葉になりにくいのなら、それをちゃんとわかって
「こういう気持ち?それともこっち?」
と一緒に言葉にしていく手伝いができるプロと長く時間をかけて、とにかく自分の感情を言葉にしていってほしい。
信頼できるカウンセラーや、ぜったいに秘密厳守できる相手と心に向き合ってほしいんです。
今は触れるのも痛いだろうけど、放置するとどんどんその痛さは深く深く自分を侵食していって壊すから。
どうかカウンセリングいってほしい。
…まあ、それが出来る人が少ないし、カウンセリング文化って日本に根付かないし、セレブならなおさらいえないのだろうけど。
それでもどうか
「語る」
をあきらめないでほしいのだ。
辛さも苦しさも上手く付き合っていけるようになるかもしれないし、人生長いのだからこの先いくらだって幸せになれる。
希望の第一歩は語ること。
話を聞いてもらうこと。
私はそう思うから…どうか生きてほしいのです。
例え話ですよ。