この時期、里山に足を踏み入れるとシャワーのようなセミの大合唱に迎えられる。
なぜか今年は、例年にくらべて種類も数も多くにぎやかだ。
地下で何年も過ごした彼らも、地上では数日のいのち。懸命に鳴く様子に感動さえ覚える。私たちが「声」としてとらえているこの鳴き声、他の国の人々には雑音にしか聞こえないとか。何でも、日本人は虫の声を左脳でも聞いている数少ない民族なのだそうである。
長雨の 止みて堰切る 蝉しぐれ 吉井竹志
暑い夏、木陰で聞く蝉時雨、何ものにも代えられないような気がする。
(写真:里山公園の遊具に下りて鳴くアブラゼミ)
写真はニホンアマガエル。なんとも綺麗で可愛らしい。
カエルは水辺に棲むものと思いがちであるが、このガエルは水辺だけでなく庭や林など、その活動範囲は広い。
これからの季節、「クワッ、クワッ、クワッ・・・・」と鳴いて、雨が近いことを知らせてくれる頼もしい存在である。
ふつう、カエルが鳴くのは繁殖期の夜であるが、このカエルは名前のとおり雨が降りそうになると昼間でもよく鳴く。気圧に反応するのであろうか。不思議である。
この鳴く理由について、次のような面白い昔話を聞いたことがある。
昔、川の傍に病弱な母と子供のカエルが住んでいたという。この子供は天邪鬼で、親の言うことの反対のことをするのが常だった。ある日、死期を悟った母は”自分の墓は洪水の心配がない山の方に建てて欲しい”と子供に言おうとしたが、山と言えばこの子はきっと川の方にするに違いないと考え、あえて「墓は川の近くにして欲しい」と頼んだ。母の死を悲しんだ子供のカエルは、これまでの行動を反省し、遺言だけはその通りにしようと決めて川の近くに葬ったという。
このため、雨が降りそうになると母の墓が流されはしまいか、と心配して鳴くようになったのだそうだ。(写真:近くの公園にて)
東北地方も梅雨明けとなり、本格的な夏がやってきた。
今年はこの時期特有の長雨も少なく、梅雨明けの実感に乏しいが、それでも、あちこちに夏を感じさせる現象がみられる。
写真の空蝉もその一つ。セミの抜け殻でお世辞にも美しいとは言えないが、昔の人はこのような美しく豊かな表現をしている。
この言葉はもともと、この世に生きている人や現世を意味する現身(うつしみ)が転じて「うつせみ」となり、空蝉にかけたとされる。
セミは何年も土の中で過ごし、ようやく地上に出ても数日の儚い命にもかかわらず懸命に鳴き、生きる。
昔の人は、この儚くても精一杯生きるセミに、現世や自分の人生を重ね合わせたものであろう。現在にも通じる意味深長な言葉に思える。
(写真:郡山市逢瀬町の公園にて)
今年もオオムラサキが羽化した。紫に輝く翅がなんとも美しい。
写真は食草の榎の葉に止まるオス。メスに比べやや小形であるが、紫の部分を持つのが特徴である。
オオムラサキは、日本のタテハチョウの仲間では最大種とされる。
1956年(昭和31年)に日本で初めての蝶の切手としてこのオオムラサキが選ばれ、その翌年、日本昆虫学会によって日本の国蝶に指定された。
写真は飼育室で羽化したもので、野外を舞う姿はまだ見ていない。
(写真:郡山市内の飼育用網室にて)
メジロ夫婦?が庭の餌場にやってきた。
その鳴き声、姿、仕草が何とも可愛らしい。
これからの季節、梅や桜の蜜を吸う姿をみるのが楽しみである。
「目白押し」という微笑ましい光景も、ぜひ見たい。
人気が高い野鳥のため、相変わらず密猟が横行しているという。今年4月から捕獲・飼育を原則として不許可とする環境省の方針に賛成である。
(写真:郡山市の自宅庭にて)