タイサンボクは、樹高20mにもなるモクレン科の常緑樹で、初夏に白く大きな花を咲かせる。花は大きいもので40~50センチになるものもあり、日本の樹木の花としては最大だという。
北アメリカ原産で、日本には明治初期に入ったとされ、庭木などに使われることが多い。花は芳香を持つため、香水や化粧品の原料などとしても利用される。
牧野富太郎図鑑には大山木(ダイサンボク)と記され、泰山木の名は、花や葉が大きく立派なことを中国の名山・泰山に喩えたことに由来するという。また、タイサンボクの名は、花姿が大きな盃に似ることから「大盃木」の転訛との説もあるようだ。
花言葉は「前途洋洋」「威厳」だそうで、言い得て妙である。
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遠目にも鮮やかな黄色。ミモザの花である。
オーストラリア原産で、日本には明治末期に入ったとされ、暖地では街路樹に利用しているところもある。
花が房のように咲くことから房アカシアとも呼ばれる。
また、ミモザとは、オジギソウの学名で、葉の形がオジギソウのそれに似ることから、誤用されて今に至っているそうで面白い。花言葉は「優雅」友情」だという。
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この時期、里山の裾や垣根において咲き誇るヤマフジの姿は実に見事である。フジは日本古来の花木として万葉集にも詠われているが、古くからその上品な香りとたおやかに咲く姿は女性に喩えられる。日本人好みの花である。
藤という漢字は「上にのぼる植物」の意で、つるをつくる植物のことで、和名の山藤は山地に生える藤を指し、漢名は紫藤とされる。
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今年も庭先に春を告げる草花が咲き始めた。庭の草花の中でもスイセンは、フクジュソウ、クロッカスなどにつづく。
スイセンは平安時代、遣唐使が薬草として持ち帰った房咲き水仙が野生化したものとも言われ、全国各地に群生地がある。和名の水仙は漢名の音読みである。地中海沿岸が原産地。
現在、数ある品種の中でもニホンズイセンは人気が高い。それは、花の外側の白と中央筒状の部分(副花冠)のオレンジ(黄色)というシンプルな配色が日本人の好みなのかも知れない。(庭先にて)
当地方は今が花盛りである。
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ビワの花が咲き始めた。
サザンカやヤツデの花などと共に、冬の代表的な庭木の花といえる。
花そのものは地味であるが、芳香が特徴的である。
ビロード状の防寒具に守られて、これから立春の頃まで咲き続ける。
この長期戦は、ビワのリスク回避のための受粉戦略なのであろう。
中国原産で、名前は漢名の音読みである。(近くの公園にて)
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鮮やかなオレンジ色が遠目にもまぶしい。
ミツマタの花である。浅い春のこの時期、葉を出す前に花を咲かせる。これは園芸種の一つで赤花ミツマタとも呼ばれるが、昔からあるミツマタは淡い黄色(クリーム色)の花をつける。
ミツマタは中国原産で、慶長年間に日本に入ったとされ、コウゾ(楮)、ガンピ(雁皮)と共に和紙の主要な原料となっている。とくにミツマタを使った和紙は、仕上がりが滑らかで光沢に富むと同時に、耐久性と吸湿性に優れるという。このため日本の紙幣の多くに使われている。
和名の三叉は、枝が三叉状になることから付けられたようであるが、漢名は黄端香だという。確かに近づいてみると芳香がある。命名に関しては漢名に軍配か。(写真:市内の逢瀬公園にて)
この梅雨時、ベニバナの鮮やかな黄色が一段と映える。しかし、よく見るとこの黄色は次第に赤色に変わりつつあるのが分かる。
紅花とは、赤い花、紅をとる意であるが、良質の紅をとるために花の先(末)の方だけを摘み取ることから、源氏物語にも登場する末摘花(すえつむはな)という美しい異称もある。
かつては染料の原料として全国で各地で栽培された。中でも質が良く有名だったのは山形の最上紅花で、それをもとに作られた本紅は「紅1匁、金1匁」と言われるほどだったとされる。
明治以降は中国産の輸入が増加。その後は化学合成染料にとって代わられ、現在は県の花としている山形県、そして千葉県の一部などで、紅花染めや観賞用(切り花)として栽培される程度だという。
少し残念な気がしてならない。(写真:喜久田町の植物園にて)
梅雨空に清楚な白い花が映える。この樹は花だけでなく、すっと伸びる姿や木肌の色なども美しく、庭木として人気が高い。
ナツツバキは夏に椿のような花をつけることからこう呼ばれる。シャラノキと呼ばれることもあるが、これはインドの「娑羅樹」と似ていることから間違えられたとされる。(牧野植物図鑑)
春の花も終わりとなったこの時期、ナツツバキが初夏を告げる。(写真:自宅庭にて)
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艶やかな葉、鮮やかな花。
日本原産のヤブツバキはその美しさゆえに、万葉の時代から歌の題材となり、近世に至っては茶花としても好まれている。
「落椿」という言葉があるように花が一輪ずつ落ちるために病気見舞い等にはタブーとされる。しかし、いまだに多くの人に愛されるのは、その散り際の潔さがサクラと同じように日本人の心情に合うのであろうか。
近年は花の色、形など幾多の園芸品種が出回っているが、個人的にはこのヤブツバキの色、形が好きである。(写真:自宅庭にて)
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当地方もサクラに先駆けてウメが開花した。
ウメは庭木の中で春一番に咲きだすので「春告草」の異名を持つ。
中国原産(漢名:梅)で、日本にはかなり古い時代に入ったこともあり、現在、園芸種は300を超えるという。
ウメは厳しい寒さを耐え忍び咲くことから日本人の心情に合ったようで、昔から歌人や俳人はサクラ以上にウメを詠んでいる。
むめ 一輪一りんほどの あたたかさ 服部嵐雪
(写真:自宅庭にて)
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マンサクに少し遅れて、ロウバイの花が咲き始めた。
ところどころに雪の残る公園の片隅で、甘く芳しい香りを放っている。
ロウバイは中国原産で、江戸時代初めに観賞用として朝鮮から入ったとされる。和名は漢名の蝋梅の音読みで、花の光沢が蜜蝋に似ることから名付けられたとか。英名はwintersweetで言い得て妙。写真は花全体が黄色いソシンロウバイ(素心蝋梅)である。
当地方もマンサクが咲いてロウバイが咲き始めると、やっと春の訪れが実感できる。(写真:市内逢瀬公園にて)
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いま、ヒイラギの花が満開。
モクセイの仲間で、可憐な白い花がかすかな芳香を放っている。
疼木の名は、古語の疼(ひいら)ぐ、つまり葉の縁のトゲに触れるとヒリヒリ痛むことに由来するとされ、柊、柊木などと表されることもある。古くから魔除けとして家の北東(表鬼門)に植えられたり、節分には豆の枝にさしたイワシの頭とともに戸口での悪鬼払いとして使われている。
それにしても、なぜ花粉の運び屋である虫の少ないこの時期に花を咲かせるのか、と疑問に思いながら眺めていると、意外にも小さな蜂などの集まる様子が観察できた。他に花が少ない時期だからこその繁殖戦略なのかも知れない。
(写真:近所の庭先にて)
庭に咲くシュウカイドウの花。ほんのりとした淡紅色の色合いには何とも言えない風情がある。
夏から咲き始めるが、今頃の季節の花がとくに美しい。
シュウカイドウは江戸時代に大陸から入ったとされ、比較的歴史は浅い。名前は春に咲く花海棠の花の色に似ていることに因み付けられたという。和名のシュウカイドウは漢名の音読みである。
花はもちろんであるが赤い茎、大小不揃いのハート型の葉も面白いせいであろうか。江戸時代の風流人の間で大変人気があったようだ。
秋海棠 西瓜の色に 咲にけり 芭蕉
いよいよ本格的な秋も近い。(写真:自宅庭にて)
梅雨に入り、水不足だった庭木がやっと元気になった。
写真はガクアジサイ(額紫陽花)の花。この種類には華やかさはないが、端正な美しさがある。
日本原産とされるアジサイの語源については「集まって咲くもの」や「厚咲き」など諸説があるが、その中でも「藍色が集まったもの」つまり、集(アヅ)真(サ)藍(アイ)が最も有力なようだ。また、日本で普通に漢字表記されている「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花(おそらくライラック)に付けた名のようで、平安時代の学者の誤記が広まってしまった、ともいわれる。
アジサイは開花後、日が経つにつれて色が変わり、最近はこれを楽しむ人も多い。しかし、面白いことに武士の時代には、このことが「移り気」や「心変わり」につながることから人気がなかったという。
蒸し暑い梅雨のこの季節、アジサイの鮮やかな青は一服の清涼剤で、この時期の風物詩といえる。(写真:自宅庭にて)
いま月桂樹が花盛りである。目立たないが淡黄色の小花が密集して咲いている。
月桂樹は地中海沿岸が原産で、日本には明治の頃に大陸経由で渡来したとされる。ローレルの名前でも親しまれ、乾燥した葉はローリエとして料理に利用される。
オリンピック競技などの優勝者に与えられる月桂冠は、古代ギリシャで太陽の神アポロンの木とされたこの樹の枝で冠を作り、栄誉をたたえたことに始まるという。
名前の由来が面白い。月の中に見える影を日本では「ウサギが餅をつく姿」に見立てることが多いが、中国では「大きな桂を切る男の姿」に見えるそうで、そのことから日本に渡ってくる時、「月の桂の樹」となったという。ちなみに漢名の月桂は木犀のことだという。牧野植物図鑑には「和名は中国の月桂樹に基づき誤った名だが慣用」とある。どこかで勘違いがあったようである。
爽やかな五月の風のもと、近づくと何とも言えないほのかな香りが漂う。
(写真:郡山市自宅庭にて)