
季節は二十四節気の立春から雨水へと移り、少しづづ春へと向かっているが、当地方はまだ寒い。
昔の人は、この頃のことを春寒(余寒とも)と表現した。
美しい言葉である。
写真は、つがいで仲睦ましくやってきたメジロのうちの一羽。
黄緑色の羽と白い縁取りの目、そしてその鳴き声、仕草が何とも可愛らしい。この姿を見ると、子供の頃に飼っていた自慢のメジロを思い出す。
軽やかなメジロの声に近い春を感じる。
(写真:郡山市の自宅庭にて)
季節は二十四節気の立春から雨水へと移り、少しづづ春へと向かっているが、当地方はまだ寒い。
昔の人は、この頃のことを春寒(余寒とも)と表現した。
美しい言葉である。
写真は、つがいで仲睦ましくやってきたメジロのうちの一羽。
黄緑色の羽と白い縁取りの目、そしてその鳴き声、仕草が何とも可愛らしい。この姿を見ると、子供の頃に飼っていた自慢のメジロを思い出す。
軽やかなメジロの声に近い春を感じる。
(写真:郡山市の自宅庭にて)
今日は立春。この言葉を聞くと、なぜか心が浮き立つ。
立春。旧暦時代につけられた二十四節気の一つで、春の兆しが初めて見え始める頃とされる。実際には最も寒い時期にあたるが、別の見方をすれば寒さが底を打つ時期ともいえる。事実、写真のように、この頃を境に季節は少しづづ春へと向かう。旧暦の季節表現の妙に関心することしきりである。
よく、私たちは手紙の時候のあいさつとして「立春とは名のみで、厳しい寒さがつづきますが・・」などと使うことがある。しかし、そもそも立春の頃は寒いのが普通であり、”立春=春、温かい”は少し違うような気がする。変な理屈か?
音なしに 春こそ来たれ 梅一つ 召波
(写真:郡山市の自宅庭にて)