今回、当地方は80cmを超す記録的な大雪になった。
降った量もさることながら、なかなか消えないので生活にも影響が出ている。
一面の雪景色であるが、ここまでになると残念ながら美しい雪景色と言うには抵抗がある。
近年は夏の異常な暑さをはじめ、大きく強い台風や竜巻、局地的な大雨など、異例ずくめのような気がする。温暖化の影響を指摘する学者も多く、この現象は地球規模での気候変動期に入る前兆なのかも知れない。(写真:市内大槻町付近の雪景色)
リンク:ふるさとの歴史
3月11日、今年もまたこの日を迎えた。
あの悪夢のような原発事故から2年が過ぎようとしている。
福島県民、とりわけ県内外に避難を余儀なくされている15万余の人々は、放射能、風評被害に今も苦しみ続けている。
政府は口癖のように福島の復興なくして日本の再生はないと言うが、除染にしても、廃炉に向けた工程にしても相変わらず東電(原子力ムラ)まかせの感はぬぐえない。安全神話を信奉し、事故などをまったく考えなかった人々に原子炉の終息、廃炉の青写真が描けるのであろうか。いま、東電、政府に必要なことはすべての情報を公開し、国内外から知恵を借りることであろう。
原子力ムラの人たちは今でも事故の主因は想定外の津波だったというが、素人目にも、建設後40年近く経った老朽化施設があの地震に耐えたとは到底思えないのである。ある元原発技術者は「今も増え続ける大量の汚染水は、原子炉容器に穴が開いたのではなく、老朽化した配管の破損ではないか」とも言う。しかし、東電は設備などの耐震性に問題は無いという。事故調査委員会に嘘をついてまで見せたく無かったものとは何だったのであろうか。不思議なことに、マスコミもこの点には触れないうにしているように思えてならない。もとっもマスコミも広告収入で繋がっていたムラの住人であり、期待する方に無理があるのかもしれないが。
今後、原発の安全な終息、廃炉への道筋を立てるためには、真相を公開し広く英知を集める以外に無いように思われる。避難している人々の願いは、今後の見通しと方針、具体的な工程の提示であり、それ無くして、人々は希望をもって将来の設計を描けないのである。
(写真:忘れられない14時46分)
写真は、放射性物質に汚染された落ち葉などを集めたものであるが、いまもって最終処分地が決まらず、これを仮置き場に集めている。
除染、除染作業、なんと虚しいひびきの言葉であろう。
この作業は東京電力の原発事故以来、県内外で広く行われている。莫大なお金と労力をかけて行っても何も生まれない、まったく非生産的な作業なのである。
いま、地質などの専門家によって各地の原発敷地下における活断層の有無が調査されている。その結果、活断層の可能性が大であると指摘されても、電力会社は必死に反論を行っている。専門家の意見が絶対とは言えないかもしれないが、これを尊重しないで、誰の意見を聞こうとしているのだろうか。残念なことに電力会社は、原発が危険なものであるという認識がいまだに乏しいのである。
この事故により、多くの人々は古里の町や村、住み慣れた自分の家に帰れず、不自由な仮設住宅で二度目の厳しい冬を迎えた。いま、あちこちでこの黒い袋を見るにつけ、原発というこんな危険なものを民間企業任せにしている国に本当に未来があるのだろうか、と思う。
やるせない気持ちでの年越しとなった。(写真:郡山市内にて)
市内の小さな公園の一角に立つ白いポスト。放射線量モニタリングポストである。この日は、0.298マイクロシーベルト/時を表示していた。
公園の入り口に除染済みの表示があるが人影は少ない。この数字が、とくに幼児などに対して本当に安全なのかどうかは、これから数十年経ってみないと誰にも分からないのである。
先日(6月16日)、野田総理は事故原因解明も対策も不十分なままに福井県の大飯原発の再稼動を決めた。その理由を国民の生活が第一だからという。それでは国民の生命は第二なのかと問いたくなるのは、私だけなのだろうか。
子供がいない公園の白いポスト。東電をはじめとする原子力ムラが咲かせた徒花である。
(写真:郡山市内の公園にて)
福島県郡山市のある仮設住宅群である。
いま、仮設住宅と聞くと、多くの人は自宅が地震、津波によって崩壊したり流された人々の仮住まいの住居を思い浮かべるであろう。
しかし、福島県にある多くの仮設住宅は事情が異なる。
写真の仮設住宅に住む人々は、自宅が津波の影響を受けたわけでもなく、地震で倒壊したわけでもないのに、このような理不尽な生活を強いられている。その理由は、いうまでもなく東京電力の原発事故である。
政官財をはじめ、原子力研究者、電力会社をスポンサーとしてきたマスコミなどは、しきりに想定外の天災を強調する。いたるところに活断層のある地震大国。その上に作ってきた原発の事故がどうして想定外の天災なのであろうか。
不自由な暮らしに耐えている人々に一日も早く春の日差しを届けたい。
(写真:郡山市富田町内にて)