ラジオ深夜便より、
鈴木文弥(すずきぶんや)氏、元NHKアナウンサーの対談で聞いたこと。
“NHKの顔”として一時代を築いたスポーツアナウンサー。
早稲田大学政経学部卒業後、NHK入局。メルボルン、東京、メキシコ、モントリオール五輪などを担当、お茶の間でも広く知られる名スポーツアナウンサーだった。
氏が、東京オリンピックのラジオ担当アナとなったときのこと。
日本女子バレーの「鬼の大松監督」はあらゆるマスコミをシャットアウトし取材拒否を通した。
氏のみが例外として「監督及び選手に直接取材」を許可された唯一のマスコミ人であった。
それほど「鬼の大松」から信頼された人物だった。
今でも鮮明に記憶に残る日本対ソビエトの優勝戦で2勝0敗、あと1セットで優勝となったときのこと。
14対9で日本リード(15ポイントでゲームセット)、なんとしたことか、
14:10、14:11、14:12、14:13、14:14とソビエトに追い上げられたが、そのたび毎に氏は「金メダルポイント」を絶叫したのだった。
遂に日本が本当の「金メダルポイント」を得点し、15:14で日本女子バレーの優勝が決定した。
氏がマッチポイントのことを「金メダルポイント」という新語で懸命に実況中継したのは、今でも語り草である。
体操の取材についても、氏は日本体操選手に密着取材を行い、遂に「ウルトラC」なる新語を編み出し、これが一世を風靡した。
(体操の難易度は、易しいものからA・B・Cとランクされていたが、日本選手は、Cより難易度の高い技を連発していたので、氏が「ウルトラC」と名づけた)
後日、円谷プロの円谷氏から、「ウルトラ」という用語の使用許可願いが来たので、快く応じたのだそうであった。
これが現在でも子供達に大人気の「ウルトラマン」誕生の秘話であった。
おまけその1;
氏は、NHK退職後、第二の人生で仕事中、脳内出血となり半身不随・なかでも言語障害がひどく残った。これを克服するため、「アイウエオ」の発音練習にいそしみ,遂に完全に言語障害を克服し手いる。しゃべりは現在、元のように滑らかである。
現在の氏のアイウエオは、次の如しという。
ア=相手の立場を考えよう
イ=嫌な事を進んでしよう
ウ=上を向いたらきりがない
エ=笑顔は自分でつくれ
オ=お礼の気持ちを忘れるな
おまけその2:インターネットで見た氏の活動状況
講演テーマ
• 健康づくりへの挑戦一度限りの人生に大輪の花を咲かせよう
• 鈴木文弥の家庭考 どうあるべきか、これからの親子関係
• 生きがいは、可能性への絶えざる挑戦があって生まれてくる
• 人としての生き方 七つの宝
• 人間に天才はない 能力開発への努力が人を育てる 著書
・著作紹介
『仕事人間、55歳からの元気のすすめ』 単行本 (1989/06) 講談社
『ホップ・ステップ・ジャンプ!!―鈴木文弥のスポーツ放送・ウルトラC』 - (1982/01) 講談社