12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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アイガー北壁

2007年10月10日 06時46分19秒 | Weblog


           険しい垂直の岸壁

アイガー (Eiger) は、ベルニーズアルプスの一峰でスイスを代表する山、標高3,975 m。
ユングフラウ、メンヒと並び、いわゆるオーバーランド三山の一つ。


          ユングフラウヨッホよりの眺望(3500m地点)

アイガー北壁は、高さ1800mの岩壁で、グランドジョラスのウォーカー側稜(ウォーカーバットレス・北壁)、マッターホルン北壁とともに困難な三大ルートの一つとして知られ、三大北壁と呼ばれている。

        
      
好きな写真1(クライネ・シャイデック2000m地点より)

1935年~1958年までに25回の登頂が試され、死者は15名に及んだものの、13回67名が登頂に成功している。
1858年、チャールズ・バリントンが初めて登頂し、1871年南西稜が、1876年南尾根が登られ、唯一つ北東山稜だけが残った。

この北東山稜は1921年夏、日本の槇有恒の隊によって初めて登られた。その成功はアルプス登山史上に一期を画しただけでなく、日本の登山に大きな影響を与えたという点でも高く評価されている。


      好きな写真2(クライネ・シャイデック2000m地点より)    

おまけ:アイガー北壁の登頂歴

• 1938年7月24日 アンデレル・ヘックマイヤー、ルードウィヒ・フェルク(ドイツ人隊) ハインリッヒ・ハラー 、フリッツ・カスパレク(オーストリア人隊)がアイガー北壁初登頂

• 1963年 芳野満彦らが日本で初めてアイガー北壁に挑む

 • 1965年8月16日 高田光政が日本人初登頂 登頂まであと300mと言うところでパートナーの渡部恒明が墜落・負傷。
救助を求める際に山頂を経由、このとき登頂を達成。

しかし渡部はその間に謎の墜死を遂げた。一説には骨折の痛みと孤独に耐えきれずに自らザイルを解いたとも言われている。

これをもとに新田次郎は「アイガー北壁」という小説を書いている。

• 1969年8月15日 加藤滝男・今井通子・加藤保男・根岸知・天野博文・久保進(夏期世界初直登) 冬期直登ルートが夏場通れないため、「赤い壁」を経由、現在でも最短直登ルートとして名が残っている。

加藤滝男が山頂直下でザイル無しで墜落したが運良く固定ザイルに引っかかって九死に一生を得た。

 • 1970年1月27日 森田勝・岡部勝・羽鳥祐治・小宮山哲夫(アイガー北壁冬季日本人初登頂)

 • 1977年3月9日 長谷川恒男 (アイガー北壁冬季単独初登頂)


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