歳時記によると、
1.敬老の日とはせんなき日なりけり 手塚深志城
2.敬老の日のこともなく暮れにけり 太田蔵之介
3.敬老の日つねは忘れてゐし齢 長屋せい子
更におまけで;川柳など如何だろうか!
奥田白虎編:新版川柳歳時記(創元社、昭和58年)
* 敬老の日だけの 福祉が めぐり来る 浜中春代
* 敬老日 なんにもされず 何もせず 沖口仁舟
* 敬老の 嬉しくもあり 侘しい日 常岡光枝
* 敬老日 すんで安らぐ 元の位置 折井一恵
どの句をとっても、侘しさが先立つのである。そこで敬老の日とはなんだろうかと調べた。Wikiによると、敬老の日とは、以下のように書いてある。
” 敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。 ”
自分も古希であるから老人に属しているのである。
毎年敬老の日がくる度に、年々、年を取ったのだから、敬老の日を祝ってもらって有難いのだろうかと考えるのだが、それがどうゆう訳か、ちっとも有難くないのである。
もっともっと年をとっても、一向に有難くならないような気がしている。
この制度は、祝って貰う老人たちの気持ちにはそぐわない制度であるように思える。
単なる、若い者達の自己満足以外の無いものでもないような気がする。
そんなことでは、継続することに意義があるのだろうかと疑問に思っている。
それとも、小生が年寄りの偏屈だからだろうか。