この映画ほど見たい見たいと思いながら、録画し忘れたり・放送があったのを見落としたりと、それが三十年間もかなわなかった映画も珍しい。先日ようやく、BSプレミアムで録画して見ることが出来た。
深作監督ならではの、哀しくも切ない期待通りの感動の名作だった。やっと大きな宿題を済ませたような気持ちになった。
1.蒲田行進曲とは;
『蒲田行進曲』(かまたこうしんきょく)は、松竹キネマ(現・松竹株式会社)蒲田撮影所の所歌。
原曲はプラハ生まれの作曲家ルドルフ・フリムル(cz:Rudolf Friml, 1879年12月2日 - 1972年11月12日)の1925年のオペレッタ「放浪の王者(The Vagabond King / Král tuláků)」の中の「放浪者の歌(Song of the Vagabonds)」で、・・・(中略)・・・
1982年(昭和57年)10月21日、映画『蒲田行進曲』に使用された松坂慶子・風間杜夫・平田満の3人によるカバー盤が日本コロムビアからシングルレコードとして発売された。
JR東日本京浜東北線蒲田駅では発車メロディとして本曲を使用している。
つかこうへい作・演出の劇作品とそれを原作とした小説、映画、テレビドラマ作品が、この映画。
2.この映画の受賞 ;
*キネマ旬報ベスト・テン(キネマ旬報ベスト・テン1位・読者選出ベスト・テン1位・
*日本映画監督賞・脚本賞・主演女優賞・助演男優賞・読者選出日本映画監督)
*毎日映画コンクール(日本映画大賞・監督賞・女優演技賞・美術賞・日本映画ファン賞)
*ブルーリボン賞
*日本アカデミー賞(最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀主演男優賞・*最優秀主演女優賞・最優秀助演男優賞・最優秀音楽賞)
3.小説 ;
劇作品の上演用戯曲をつかこうへい自身が小説化した作品。初出は『野性時代』1981年10月号発表の「銀ちゃんのこと」。『蒲田行進曲』と改題、加筆の上、同年11月に単行本化され、1982年1月には第86回直木賞を受賞した。
参考;映画 「蒲田行進曲」
監督深作欣二
脚本つかこうへい
製作角川春樹
出演者松坂慶子
風間杜夫
平田満
音楽甲斐正人
主題歌オープニング:
松坂慶子・風間杜夫・平田満
「蒲田行進曲」
戯曲をつかこうへい自身が映画向けに脚色し、深作欣二が監督した映画作品。1982年(昭和57年)に松竹と角川春樹事務所が共同製作した、いわゆる角川映画として松竹系で公開された。
角川春樹が提案した『蒲田行進曲』映画化の企画を、東映社長の岡田茂は「当たらないから」と断ったために、松竹が製作にあたった。当時の日本映画界を席捲していた角川映画とやっと念願の提携を果たした松竹であったが、撮影は松竹の撮影所でなく、あえて東映の京都撮影所で撮影するという異例の試みが取られた。
監督も東映出身の深作欣二であり、こうしたねじれがあったせいで最初は東映側、松竹側の双方で軋轢があったという。もともと『蒲田行進曲』は松竹の蒲田撮影所を舞台としているものの、つかこうへいは東映京都撮影所の大部屋俳優である汐路章の階段落ちの逸話をテレビ『徹子の部屋』で汐路が語ったことで知り、モデルに執筆したものであり、実際は時代劇全盛期の東映京都の話と解釈される。
配役は松竹作品ということで、まずヒロインの小夏に松坂慶子が起用された。銀四郎とヤスについては難航し、プロデューサーの角川の提案で松田優作に銀四郎役の出演依頼がなされたが松田は辞退し、結局スケジュールの余裕がなくなったことから、実力派の風間杜夫と平田満が主役に起用され、結果的に2人の出世作となった。
配給収入は17億6千万円と大ヒットを記録。アンコール上映も行われた。それまで角川映画は大量宣伝によりヒットしていた一方で、話題先行で質が伴わないという風評があったが、本作によってようやく作品的にも評価されるようになり、第6回日本アカデミー賞をはじめ映画界の各賞を多数受賞した。
オープニング曲は、後にプロ野球で加藤博一(横浜大洋ホエールズ)の応援歌となったほか、JR東日本・京浜東北線・蒲田駅の発車メロディとしても使われている。
あらすじ;
http://www.kiwi-us.com/~masato/oldworks/category/movie/4001/kamatastory.html