田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

17619 朝の散歩、昼の散歩(68)・・・昔は囲炉裏、いまは?

2017年06月19日 14時30分22秒 | 日本の未来像(future

 

都会に住むということは、家屋の多目的性をバラバラにした。

このような都会生活に合う家屋は、「家族、団らん、近隣つきあい」の造りではなく、「個人、孤住、孤塁」の造りになっていると思える。家屋は個室で仕切られ、家族が共有する時間と空間が少ない。育児にも問題が多すぎるのではないか? それぞれの家は「俺に近づくな」というサイレントメッセージを発信している。お互いに無関心でいることが都会的自由、個人の自由とされ地域社会での交流は、やむを得ない繋がり(PTAとか)はあっても、豊かな質を持たない。

 

生産は工場やオフィスで、生活(消費)は、リビングキッチンで、接客は玄関口か脇の小部屋でお義理に・・という感じ。

ベッドタウンという言葉が普通に使われていても何の疑念も起こらない。寝るだけの生活、寝るだけの家屋からなる地域があってよいはずはない。その言葉の中に、職(生産)と住(消費)の無残な対立が秘められていて、地域の文化や自然、エコロジカルな生活への誇り、生産労働へのレスペクトが生まれない。「こんな街に暮らしたい」という標語が大田区にあるが、こんな町とはどんな街なの?今後、深い吟味が待たれる。

町を歩いていると、ちょっとした家やマンションにはSECOMとかALSOKのプレートが貼ってある。郵便受けを見ると「ビラ、チラシの類のお断り」の貼り紙がある。ひところは猛犬注意の札が張ってあった。町会の掲示板には、オレオレ詐欺に注意、チカンに注意など警戒警報が多い。都会人は背中を向け合って生活している。地域の町会も聞くところによれば入会率は2割そこそこで、8割が地域社会とのつながりにそれほど意を用いていないと思える。

いずれにしても都会生活は、「人を見たら・・・と思え」の戒めの方が優勢に見える。都会は、そこで生まれてそこで死ぬという定住社会ではなく、いわば流れ者の集まり、どんどん入れ替わっていく移動性社会、お互いに知り合うこともなく、孤独に生きていくところだという思考の習慣があって近隣での家族ぐるみのつきあいはできにくいかもしれない。


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