田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

平成の改革と5つの課題

2010年05月01日 14時22分57秒 | 平和

その主張は国家戦略を持てということに帰結するようでした。不況にあえぎ、出口の見つからない今の日本を産業技術の革新を手がかりにしながら、その復権と復活の道を探り、過去の分析をすれば日本こそ世界でその主役を張ることができ、知的先進国として繁栄を確かなものすることが出来るとの確信を語っています。
不幸にして、小生はエンジニアではなくエンジニアとは一緒に仕事をしたことがないので、技術を引例しながらの著者の主張の半分も理解する能力に欠けているが、感覚的・心情的には著者の意欲・情熱・愛情に共感できます。著者は、いわゆる沈滞する日本の課題を紹介し、これを5つの改革にまとめて、ソリューションを模索しています。私の勉強したテーマである農林水産業の立場からは感覚的にとしかコメントできないのがもどかしいのです。
著者の農林水産業に対する理解と造詣は深いが、農林水産業を歴史から分析していくと、世界の多世婦那文化圏ごとに固有の形態がありますので、ひとまとめにして、農業を一般化することが困難である、というのが私の認識なのです。農林水産業は世界最大の、最古の産業です。各地の条件によって早い遅いがありますが、農林水産業は農村を作って、工業を生み、商業を生み、また教育やモラルの源泉となり、家族、コミュニテイを作り、それらをまとめていうと人間と国家を作ってきたともいえる。でしょう。ですから、産業という切り口、特に先進性とか効率性とかという産業技術的な切り口で各地の農林水産業の【先進性】を論じてはならないと思っています。超先進国と思われてい我が国では最大の資源ともいうべき人材を供給したのは一次産業でした。ですから土地と人間との新陳代謝である生命の営み、農的営為を近代国家の経営にどう位置づけどう活用のかという論点は、人々の価値観が大きく絡みますので設定しにくいのです。昨今は農業を、工業も商業も入り交じった市場の側面からだけで経営学的に評価する傾向がありますが、その危険性と非現実性を痛感する時代がそこに来ているようにおもえます。
いまや資源の争奪力の優位を反映させる国民国家の概念をそろそろ卒業して、環境保全、持続的発展という旗印の下で、地球市民のイデーのもとで、国民国家をいかに解体し、ローカリテイをみすえて地球全体を共同体的枠組みに導いていくのか、この外交上のイニシアチブを日本の有識者は発信出来ないのだろうかと私は思います。
90億人の地球人口(2050年)を平和的に地上に住まわせるには、国家戦略もだが、地球戦略(裏かえせば地域戦略)の方が必要なのではないか、日本の知的資産はこの地球戦略の構築にこそ、そしてもちろん産業技術の世界的展開によって非軍事的に貢献すべきではないのかというようにも感じられます。これはモップしかしたら著者の主張に反対しているようにも思えますが実は層ではなく、裏側からものをいっている私と表側から真っ向論じている著者の共通認識ではないかとも思います。
私は、個別の工業技術【原子力発電の事など】について深い理解をすることが出来ませんので、したがって著者の渾身の説得の努力にもかかわらず、これに同意出来るかどうかはもちろんわからないのです。それはこの本に接する読者に共通することではないかと思います。日本という近代国家をどこに向かって、何を目標として、だれが、どう操縦していくのか、これはまさに政治の問題であり、国民的コンセンサスを探りながら、おそらくは、民主的な手法で、愚直に少しずつ歩んでいくものだろうと思います。
 なお最後に感じたことを言えば、著者は、何が対象となるテーマなのかを具体的に摘出してくれています。読んでいけば、いちいちなるほどと思わせ [What]についてはそうだなと思う反面、では一緒にやろうかというコンセンサスとなるのは難しいのではないかとも思います。「Why」・・・今なぜおおげさな国家戦略なの?そもそも国家戦略って何?という素朴な疑問と、今なぜやらねばならないの?ということと、「How」「Who」(どのように、手段は、担い手はだれ?)という問題は大衆の思考の中にはしつこく横たわっていると思うからです。
人々の問題意識の希薄なところにHowもWhoもないので、結局は、解決へのインセンティブを何に求めるか、またこのインセンテイブを誘起する政治のモラルをどう鼓舞していくかというあたりに問題があるのでしょう。そして昨今の政治家のていたらくを見るにつけ、今の日本にはその力(政治家のモラル)が残っているのかという深い疑問を禁じ得ません。
産業革命と市民革命は国民国家を生んだと思うが、その牽引力はおそらく市場のちからと思います。資本主義を国家が囲い込んだために国民所得とか国際競争力という概念が生まれ、その多寡と国力が計量されました。しかし、現代資本主義は行き過ぎてばくち資本主義の様相を呈しています。この様相を克服できない情況のもとでは市場の力に国家と国民の経済を託す事は困難ではないかと思います。21世紀の国家とはどういうものであるのか、これは興味深いテーマでありますが、少なくとも世界市場の占有率が国力の大きさを示すのではないのではないか、軍事力の大きさがそうであることはもとよりですが。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿