それでも原発を推進するというのは、社会や経済や国家の運営とは別の狙いが国策に働いているからだ。原発の生みの親は原子力潜水艦とか原子力空母、そして何万発も存在する核兵器を作る軍需産業である。兵器となると、戦争に使うためだから、放射能管理が思考の外にある。
原子力の平和的利用という言葉は大いなるまやかしだった。これは軍需産業と表裏一体であるということを隠蔽し、これが安全神話を作り出しそこに乗じて大勢の学者が群がり、50年間も巨大な国費を浪費、蚕食し続けた。日本国民は彼らのご託宣である平和的利用という言葉に麻酔をかけられ安全神話に眠らされてきた。そして福島の被災。激動が襲う。ここへ来てようやく人々は覚めつつある。
原発は途方も無い選択であった。原発の廃棄もおおごとであるが、その源流たる核兵器を市民の力で解体撤去することが、より本質的に真の平和と安全に繋がり、大げさでも何でもなく21世紀に人類が途絶えないために課された課題である。蛇足ながら核兵器が安全と平和を守る、平和を守るために軍事力強化である、日本も核武装をというもう一つの麻酔から目覚めなければならないだろう。
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