これらの事故の原因は技術問題であるかのように短絡されるが実は扱うものの、現場のシステム、すなわち人間の関わりかた方にも一因がある。チェルノブイリ事故が起こった際日本の原子力技術者はソ連の「技術力」(設計ミス)にこそ真因があり、日本や欧米の原子炉には起こり得ない事故であると強調した。また所詮人間のやることだから、思わぬことはおこるもの、人間の注意力さえ磨けば事故は防げるものだ、として技術者教育、マニュアル教育によって原子力事故などはこともなく防止することが出来るとする主張も聞かされた。原子力関係の技術者の思い上がりともいえる豪語の背景にあるものは「あらゆる場合を想定して安全対策が打ってある」という自信である。彼らは言う。「国の基準に合致している」「委員会をパスしている」「マニュアルを整備してある」。これはいかにも馬鹿げている。交通規則を守れば交通事故は絶対起こらないというのに似ている。交通事故は交通規則を守っても起こる。青信号だから安全なのではなく、車の来ないことを確認するから安全なのである。安全は交通規則が保証しているのではない。
だが技術は魔法ではない。熟練した人間の手よりも、筋肉よりも正確に、早く、持続的に仕事をこなす「能率人形」に過ぎない。
技術が人にもたらす受益は、能率を別にすれば個人でも作ることが出来る。原子力を複雑に扱って得られるものは所詮湯沸かしにすぎない。原子炉は人工湯沸かし器に過ぎない。
工業の基本理念は大量生産・規模利益の実現である。これは機械の制御をおこなうことによって得られる。この制御を行うものは個人ではなくて組織。近代技術は組織によって担保される。その組織は頼りない物であれば技術も頼りないものとなる。原子力発電所のシステムは組織がしっかりすることによって、それが当然の前提として安全が守られるシステムとなっている。これは言い換えると組織がしっかりしない場合にはきわめて危険なものであることを示す。
技術者に安全を語らせてはならない。技術者には危険をこそ語らせなければならない。
だが技術は魔法ではない。熟練した人間の手よりも、筋肉よりも正確に、早く、持続的に仕事をこなす「能率人形」に過ぎない。
技術が人にもたらす受益は、能率を別にすれば個人でも作ることが出来る。原子力を複雑に扱って得られるものは所詮湯沸かしにすぎない。原子炉は人工湯沸かし器に過ぎない。
工業の基本理念は大量生産・規模利益の実現である。これは機械の制御をおこなうことによって得られる。この制御を行うものは個人ではなくて組織。近代技術は組織によって担保される。その組織は頼りない物であれば技術も頼りないものとなる。原子力発電所のシステムは組織がしっかりすることによって、それが当然の前提として安全が守られるシステムとなっている。これは言い換えると組織がしっかりしない場合にはきわめて危険なものであることを示す。
技術者に安全を語らせてはならない。技術者には危険をこそ語らせなければならない。
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