田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

はめ手と自然な手

2012年03月29日 16時30分28秒 | 平和
 私は子供の頃から新聞将棋を見るのが好きで、それが今でも続いてテレビ将棋は欠かさず見ています。完全な下手のヨコ好きなのですが、駒の働きと動き方のルール、そしてゲームの帰趨を決めるヨミや決め技などには、終盤の知的捻り合いには本当に惹かれるものがあります。将棋には格言があります。それが将棋に限らず、人生の物事の判断に参考になることが多いのではないかと思います。よく知られているのが「桂馬の早飛び歩の餌食」とか「へボ将棋、王より飛車を可愛がり」「歩のない将棋は負け将棋」などですが、これは勝負の目的(王を取って勝つこと)と目的に対する手段(王を追いつめること)との微妙な関係の管理こそ勝負のアヤであることを教えております。目的と手段が取り違えられたり、区別が付かなくなったりすると、勝負は負ける。コマの損得(目先の利害)に目が行きすぎて、目的(勝つこと)がお留守になるような場合がほとんどのへボ将棋家の私にはこの格言は拳拳服膺すべきものだろうと思う。
プロのN九段が面白いことを言っています。彼の好きな格言は「自然な手に悪手無し」だそうです。自然な手というのは、素直な手、合理的な手、もしかして単純な手ということなのでしょうが、彼によると、将棋をもっと強くなろうとして、「奇手・妙手」時には「はめ手」を学んだりするのがいて、そうすると却って弱くなるということです。プロでもそうなってしまう。はめ手を使った場合、相手が引っ掛かってくれないと、仕掛けた方が撚れてくる。つまり仕掛けた方が態勢が不自然になり、自然な手を忘れる。将棋では一般にはめ手は聡明な人はかからないが、鈍感な人もかからないそうである。かかりやすいのは生真面目で感じやすく、世間ずれしていない人がかかる。形勢が有利な時でも、不利な時でも自然な手を指すことであるということだ。これは人生百般に通じることだろう。


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