梅が咲いた。
枯木のようだった枝のどこに、そんな爽やかな色を貯えていたのか。
まだまだ寒さも厳しいが、待ちきれずにそっと春の色を吐き出したようにみえる。
溢れでるものは、樹木でも人の心でも喜びにちがいない。
懐かしい香りがする。香りは、花の言葉かもしれない。
梅は控えめでおとなしい。
顔をそばまで近づけないと、その声は聞き取れない。遠くから記憶を引き寄せてくる囁きだ。ぼくは耳をすましてみるが、香りも記憶も目に見えないものは、なかなか言葉にするのは難しい。
たぶん言葉になる前のままで、漂っているのだろう。
メジロが花の蜜を吸っている。
小さな体が縦になったり横になったり、逆立ちしたりして、花から花へととりついている。花の間に見え隠れする緑色の羽が、点滅する至福の色にみえる。
ぼく等もかつては、花の蜜を吸った。
ツツジやツバキの蜜を、むしり取った花の、とがった尻の部分から吸った。甘かったかどうかは憶えていない。単純なゲームのようなものだった。田舎の子どもたちの習性のようなものだった。
わずかでも甘みのあるものは、口にしてみる価値があった。
木の実はもちろん、かずらや草の根もかじってみる。まず土や苔や黴の味がした。そのあとに、かすかな甘みと苦みが沁みだしてくるのを舌でさぐった。
それは冬から春へと変わろうとする、ちょうど今頃の季節だったろう。
陽射しがすこし明るくなり、夕暮れがすこし長くなると、今まで閉じ込められていた冬への鬱憤を晴らすように、ぼく等は野山に駆け出していった。
だが、ぼく等を待っているものは何もなかった。木も草もまだ枯れたままだった。冬の寂しさが残っていた。それでもかまわなかった。ぼく等はもっと寂しかったのだ。
メジロの、白く縁取りされた黒い目と、透きとおった声。蜜を吸うぼく等も、春を待つ小鳥だったかもしれない。
花は見るものではなく、食べるものだった。花を美しいと思ったことはなかった。すこし甘いとか、すこし酸っぱいとか、花はそのような存在だった。
花の蜜に満たされたかどうかはわからない。花から花へと自在にとび移る、小鳥みたいにいつか飛べるようになる。そんな夢には酔っていたかもしれない。
ひっそりと香りを届けながら咲く梅の枝を折って、旧暦の雛祭りの雛壇に供えました(*´-`)
その樹も、除染で、止むなく伐採しましたけど、地面近くから新芽が出てくることを期待しています(^^)/
コメントありがとうございます。
きょうは寒い一日でした。
子どもの頃、わが家の裏庭には梅の巨木がありました。
2階の窓から屋根に上がって、
ぼんやり梅の香りをかいでいたものです。
たしか初午の頃で、もう春の気配がしていたと思います。
伐られた梅の新芽、出てきたらいいですね。
日当たりのよい所は紅梅も咲き誇り、春を感じます。
あと一息で春ですね・・・
子供の頃、花の蜜を吸った記憶が甦りました。
あの頃は何でも興味深々。
友達に教わった通りにチューチュー。
楽しい記憶はいつまでも残るものです。
私の場合、梅ではなくて原っぱや花壇の花だったなぁ。
これからもブログを楽しみにしています
コメント、ありがとうございます。
花の蜜を吸う。
古い古い体験です。
どんな味だったかを思い出そうとすると、
遠くにある記憶の原点に戻っていくようです。
なかなか辿りつけないけれど、そこには
失ってしまったものがいっぱいあるような気もします。