西へと
みじかい眠りを繋ぎながら
渦潮の海をわたって
風のくにへ
古い記憶をなぞるように
山はいつも寝そべっている
近づくと
つぎつぎに隠れてしまう
活火山は豊かな鋭角で
休火山はやさしい放物線で
とおい風の声を
伝えてくる
空は雲のためにあった
夏の一日をかけて
雲はひたすら膨らみつづけ
やがて空になった
風のくにでは
生者よりも死者のほうが多い
明るすぎる山の尾根で
父もまた眠っている
迎え火を焚いて
家の中が賑やかになった
誰かに伝えられなかった言葉はないかと
下戸の仏と酒をのむ
声が遠いと母がぼやいている
耳の中に豆粒が入ってしもうたと
同じことばかり言うので
子供らも耳の中に豆粒を入れた
ひぐらしの声で一日が明けて
ひぐらしの声で一日が暮れた
翅はかなしく透きとおり
せみの腹は空っぽだった
風に運ばれて
ぼくは夏草の中へ
草はそよいで
ぼくの中で風になった
風には言葉がなかった
言葉にならないものばかりが吹き過ぎた
風を追って
ぼくの中の言葉をさがした
洞窟の隠れキリシタンのように
とつとつと言葉を風におくる
ゼウスのように
風も姿がなかった
送り火を焚くと
ひとつだけ夏が終る
耳の中の豆粒を取り出すと
母の読経が聞こえた
きょうは目が痛いと母が言う
きのうは眩暈がし
おとといは便秘じゃった
薬が多すぎて配分がわからない
母の目薬はさがしてやれないまま
いくつもトンネルをくぐり抜けたあとに
ぼくはまた船に乗る
とうとう風の言葉は聞けなかった
(2008)