日なたでよいしょ、木陰で一服

花が大好き、野の花も好き。
農家の主婦が、日々のあれこれを綴ります。

東洋のマチュピチュへ

2015-11-30 21:37:40 | 旅行
バスツアー2日目(28日)、お天気は曇りです。

別子銅山の中興の祖と言われている広瀬宰平ゆかりの、広瀬歴史記念館や旧広瀬帝から観光が始まりました。
  

この後、バスで道の駅 マイントピア別子まで行き、ここからはマイクロバスに乗り換え、東洋のマチュピチュ東平(とうなる)地区へ。

別子銅山最盛期に探鉱本部が置かれ、3800人が暮らしていた所です。

今は山林に返っていますが、当時は階段状に家が建てられ、病院や劇場、スーパーマーケット、小中学校などが完備されていたそうです。

東平地区は標高750m、寒いです。

別子銅山の始まりの山も雪化粧でした。


掘りだした鉱石を貯めておくところや、鉱石を運んだ索道跡などを観て廻りました。
  

 
この遺跡を見に行くのに200段余りの階段を下りていくのですが、この階段はインクライン跡です。

インクラインをはさんで反対側が社宅や娯楽場があったところですが、山林になっています。



別子銅山の電気は水力発電で、住友金属鉱山の自前だったそうです。

鉱毒の対策もしっかりされており、足尾銅山のような鉱毒による被害がなかったようです。

新居浜市の山林の8割は住友(住友林業)が所有しているそうで、高山が最盛期の頃は瀬戸内海に面している所は住友関連の会社で占めていたそうです。

広瀬邸や別子銅山を案内してくれたガイドさんは、住友LOVEの方でしたが、現役時代は住友とは関係のないところにお勤めだったそうです。


東平地区を後に、道の駅マイントピア別子に戻り、昼食の後鉱山鉄道に乗って観光坑道へ。
  

 
3333mの坑道で、江戸ゾーンや近代ゾーン、体験ゾーンがあり、別子銅山の歴史が学べます。



とにかくスケールの大きい別子銅山なので、まだまだ書き足りないこともたくさんあります。

もし興味のある方は一度訪れてください。

12月から2月末までは降雪のため東平地区への道路は閉鎖されます。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする