10/28(日)
劇団マグダレーナ40周年記念公演
「新さぬき弁殺人事件」観劇
市民劇のメンバーも出演。
お誘いいただき久々の
マグダレーナ。
福田村事件をモチーフにした作品で
新しく書き直されて
公演は3回目とのこと。
福田村事件は
映画作品にもなっていて
少しだけ知っている程度。
マグダレーナでの公演は
観たことはなく、
気になっていた。
………………
虐殺シーンはなく、
生き残った女たちが
警察内のとある部屋で
身を寄せ合うところから始まる。
起こった惨劇や
これまでの身の上など
語られていく。
そこへやって来る
警察官、
弁当を作ってくる料理屋の女将。
そして、
警察に連れてこられた
共産主義者の女、
逃げてきた朝鮮の男など。
重苦しい空気や
しきりに起こる慟哭。
あまりに酷い事件すぎて
自分たちの世界と
かけ離れた感覚にもなる。
なんて酷い人間たちだ、
差別がまかり通る世の中なんて
…と憤るのは容易い。
けれど
そこから何を学ぶのか。
自分たちの世界の問題として
どう感じ考えるのか。
そうじゃなきゃ…
という気持ちが自分の中で
サイレンのように鳴っていた。
被害にあった人たちの
恐怖や疑心暗鬼、
虐げられる側の人たちの気持ちは
ある程度は想像しやすい。
けれど、
虐殺に及んだ村人たちの群衆心理や
高圧的な警官の
正義の名のもとの暴行など、
なかなか気持ちが近づけない
もどかしさがあった。
時代的な背景があったとはいえ、
どこかに今と繋がる
いとぐちがあるはず。
今、当たり前と
疑わないものの中にも
危険性はあるはずだから。
そんなことを
探る時間だった。
昔の事件、ではない。
今もカタチを変えて
国や場所を変えて
起こり続けているような気がする。
瞬時にすべて解決することは難しい。
けれど何か小さなひとつからでも
希望を見出せたら。
こうすべき、とか
決まったひとつのカタチではなく
それぞれのカタチで。
今ならできることは
あるはずなので。