ノトスラボvol.14
『命を弄ぶふたり』
7/17 【A】原文ver. 観劇
「とうとうやりやがった!」
踏切に飛び込む姿に息をのむも、
あれ…?
思わず心の中で、おかえりー。
生還してやがる!
2回とも2人とも!!
心の中で爆笑。
深刻な打ち明け話のはずが、
だんだん面白くなってしまい、
もうどっちでもいいじゃないか、
なんて。
けれど気付く。
どんなに相手の気持ちを
分かったつもりになっても、それが
全てではないような気がする。
それでも、
あーだこーだと考えあぐねて、
生存意義や存在意義を
考え続けるのは、
人間ならではなのかもしれない。
何とも頼りない、けれど
そんな人間が
愛おしいような気もした。
私もだ。さして変わらない。
ダメダメなところも、
結論のでないことを延々と
考え続けるところも。
それでもこうやって
誰かと対話することは
涙が出るくらいの
温もりを感じる。
結果だけじゃない、
過程の大切さのような。
そりゃ、死なない方がいい。
けれどどちらを選んだとしても
あの過程があるのとないのでは
全然違う。
今、現実の世界を思う。
一人ひっそりといってしまったり、
他を巻き添えにしてしまったり、
そんなことが少なくない。
こんな対話があったのか、
無かったのかは分からないけど、
無いとしたらあまりにも残念。
対話が難しいのは分かっている。
でも、こんな作品を通してでも
内なる対話が出来はしないかと。
心の踏切に立った時
思い出したい、
ふたりのやりとり。
そんなラストだった。
弄ぶ、という言葉から
軽くみて好き勝手するということを
想像していた。
確かに、
死をめぐる二人のやり取りが
面白く軽く
感じるような場面もあった。
けれど、
傍から見れば理解できなくても、
当事者は切実である場合もある。
それこそ、
分かり得ないことなのだ。
両方が混じり合う
複雑な気持ちになった。
野生の生き物なら、
他がどうだろうと
迷いなく自分を優先するだろう。
他との関係での悩みは
大きな意味を持たないほど
過酷で容赦ない。
自分の命は、せいぜい
他の生き物の栄養、
くらいの存在だろう。
けれど今私たちの住む世界では、
他人の考えが
気になってしまうのも事実。
複雑な関わりの中で生きている。
正解などないけれど
一周回って思うのは、
せめて自分の心から
全うしたいことに向き合えたら
いいなということ。
それは、
自分勝手とはまた違うだろう。
それにしても…
ふたりの彼女たちの話も
興味深かった。
女、というものについての
話もあったが、
うーん…
女は意外と したたかかもね、
とか、
そとそも女とか男とかいう性差も
あるかもしれないけど、
最終的には人によるかも
しれないよね、とか。
所々、ツッコミつつ観られた。
色々な解釈や意見が生まれそう。
そういう意味でも
他のバージョンも観たかったが、
自分の事情で断念。残念。
全部観たら
面白かっただろうなぁ!