月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

12/17 (仮称)みんなの劇場市民ワークショップ 第6回

2019-12-18 23:50:14 | 参加★舞台 映画 WS等



12/17(火)
(仮称)みんなの劇場市民ワークショップ
第6回
「劇場に関わるお金について考えてみよう」

7月から始まった市民ワークショップ、
最終の第6回目でした。
……………………………

3グループに分かれて
各5~6人でのグループワーク。

劇場は、何にお金かかるのか?

まずは建築。
前回、模型で配置を考えた
各チームの概算の平均額。
そして管理運営費。

それを
市の人口で割った一人当たり額。
年間で結構な額で……

★ワーク①
自分にとって高いか安いか、
その理由

個人で書いて、それをもとに
グループ内で話し合い。

生活環境や所得など違うので
答えは出ないのだけど。
どちらにしても、
それに見合う中身であること、
どういう使い方するかで価値も変わる、
という意見になった。

★ワーク②
どんな人が(自分も含めて)
どんな風になるために
このお金を使ってほしいか考えてみる

付箋に書き出し、
グループで1枚の大きな紙に貼り
内容ごとに整理する。
その後、グループごとに発表。

グループ内で3つに分かれ
別グループメンバーと組み、
それぞれのまとめを順に見て回る。

自分のところを説明したり、
別のところの話を聞いたり。
同じような内容があったり
違う特徴があったり、
ざっくばらんに話し合えた。

……………………

せっかくイチから建てる劇場。
高い額だし、
作った後もお金がかかる。
それならば、
一部の人だけでなく
すべての人が関われるような
場であってほしい。

なぜその人が それを求めるのか。
なぜ必要とするのか。
そこを考えていかなければと思った。

もの、お金、だけじゃなく
人、心、思想 を大事に。

誰が、どこに、どうしたいのか。

みんなの町をつくっていく、
という言葉が印象に残った。

………………

“ つくる ” ことについて考えた。

誰かの決めたものに従って
形にはまっていくのではなく、
自分たちの求めるものを
形にしていくこと。

きっとその方が難しい。
時間もかかるし
効率も悪いかもしれない。

けれど、決められた形に
はまりきれない人にとっては
かけがえのない場所になる。

それでなくても厳しい社会。
なかなか変えられないことも多い。
ただ、
一般的な社会とは全く違う価値観が
存在できる場所があれば、と思う。

先日、とある場で
ある子が話していたことを思い出した。

学校などで、
決められたことをやるのが苦しいと。
本当に実感のこもった言葉だった。

さらりと言葉だけ聞けば
何を甘えたことを…と
思ったかもしれない。
みな我慢して頑張っているのだと。

でも、
我慢して苦しむこと自体に
意味があるとは思えない。
自分のやりたい気持ちがあって
はじめて頑張れるというもの。

かのイチローは引退会見で
子どもたちには夢中になれるものを
見つけて欲しいと言っていた。
好きなことなら、
立ちはだかる壁に立ち向かえるのだと。

また、我慢が苦手とも言っていた。

少し頑張れば実現可能な目標を立て
それができれば達成感を得られる。
小さなことの積み重ねが大事
…という話も聞いたような気がする。

ただ苦しさを我慢することで
何かできるわけではないのだ。
そこに楽しさや達成感、
満足感などがなければな、と。

あの子の言葉も、もっともだ。
我が子も似たようなことを言っていた。
でも ズバリ人前では言えないのだ。
みな、我慢して頑張っているから。
できない自分を
否定されるのが怖いから。

好き放題がいいとは思わないけど、
せめて好きなようにできる場所が
どこかにあってもいいのではないか。

そんなふうに
身近に切実に思うことがあった。
そのひとつとして、劇場が
できることがあるのではないかと。

やりたいこと、意欲が持てること、
それはきっと人それぞれ。
万人が皆同じなわけがない。

それぞれに合うものを
見つけたり、やったりするためには
大勢で画一的に進めるやり方は
どう考えても無理がある。

ならばどういうやり方が……
また元に戻ってくるのだけど。

きっと
目先の盛り上がりだけでなく
何を大切にするか…という
考え方が元になる。
そこがしっかりしないと
求めているものにはならないのかも。

考え出すと
なかなか答えが出ないけど
どこかワクワクする気持ちもある。
やりたいことをできる余地があると
感じられるからだろう。
どうせ変わらない、という諦めじゃなく
変えられるかもしれないという気持ちで。
少し、また少し、出来ることから!

これまで グループ等で
一緒に考えたり意見を出し合ったりした
皆さま、お世話になりました!
またこれからもよろしくお願いします。

…………………………………

■丸亀市HP
(仮称)みんなの劇場市民ワークショップについて

▼第6回市民ワークショップ参加者募集
前回のまとめ、応募用紙、チラシ

▼第1回からの概要
みんなの劇場通信!(市民ワークショップ各回まとめ)


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12/6 ノトスラボvol.13 劇団オムツかぶれ旗上げ公演『ファミレス』

2019-12-12 22:08:10 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等
12/6 ノトスラボvol.13
劇団オムツかぶれ旗上げ公演
『ファミレス』
三女と観劇。

ファミレスに来る客、その人間模様の
ひとつひとつが複雑でヘビー。
中には最悪な人もいて(笑)
怒りを覚えたけど、
最悪は最悪なりに…そこに至る何か、
どうしようもなさがあったのかな?
と、気になった。

これが現実だと
自分は渦中にあって、
そんなことを考える余裕はない。

あの酷い奴らの姿は
舞台の中であっても
確かに酷くて、好きにはなれない。

けれど、
あまのじゃくだからだろうか(笑)
誰もが酷い奴だと感じてるだろう
と、思えば思うほど…
なぜか気持ちはスッキリしないのだ。

普段なら、共感できる人が多いほど
妙な心強さがあるはずなのに…謎だ。

観客は、
誰も何も言ってはないのに
(やじとか、リアクションとか)
勝手に、人の批判的な空気や
それについての同調圧力のようなものを
感じてしまうのかもしれない。
( 勝手な思い込みかもしれないけど )

そして
そんな大きな流れがあるとして、
それに乗っかろうとする自分が
許せなくなってしまう。
そんな心理状態かなと思った。

結局は、
自分で見つけて自分で感じて
自分なりに考えたいのだろう。

演劇は、
そういう自由が許される場所。
現実では
何かと周りを気にしてしまう自分が
平気な顔して自分を保てる場所。

作品が、
どんなに重くて苦しくても
どんなに理解が難しくても、
自分の感じたままでいいのだと。

そんなこんなで。
色々な客が次々と現れたからか、
なかなか全部には
のめり込めなかった。

でも一部、個人的に
引っ掛かるところはあった。
自分と重ねて考えさせられる場面も。

家族って難しい。
生まれ育った環境が土台になるから。

みな価値観が同じなら楽だけど、
様々な環境や考え方で生きてきた分
その違いに戸惑ってしまう。

小さな集団なのに、
その場の多くを占める考えが
正しいと錯覚されがち。
だから余計にしんどい。
正解はないのに。

自分たちならどうするか、
時と場合に応じて
考えた方がいいのだけど。
それをやろうと頑張ってはいるけれど
日常生活の中では、なかなか難しい。

…………………

三女の感想も聞いてみた。

一人二役に
気付いてなかったようだ(笑)。
あまりにも違うキャラで
分からなかったらしい。
確かに、分かって見てても
同じ人という感じはしなかった。
すごいよね~と二人で話した。

それから、
マスターが客に声をかける場面。
事情を知ってるけど、あえて言わず、
気遣う言葉をかけてたんだよね、と。
私もそう思ったよ、と話し合った。

直接的な言葉だけじゃなく
行間を読むような感じ?
三女も、そういうことを感じるように
なっているのだなと思った。
だからこそ日常で
苦しいこともあるのだろう。
ただ、読み違えということもある。
本当のところは、
言葉をやり取りしてみなければ
分からない。

けれどそれ以前に、
まっとうにやり取りするところまで
たどり着けるかどうか…
という問題もある。
その道のりの 険しさを想像できるから
立ちすくんでしまうのだろう。

そうだね…と、どうしようもなさを
受け止めることしかできなくて
もどかしかった。

そんなことを感じた舞台だった。

………………………

終演後ロビーで
キャスト、スタッフ、
懐かしい人に会えたー!
歳はだいぶ違うけど(笑)
なんだか同窓会のような感じ。

舞台を通して
同じ時、同じ場所で
一生懸命がんばった同士は、
別々になっても
どこか “ 仲間 ”な気持ちがある。
嬉しいことだ✨
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11/30 ノトスフリンジvol.2『舞姫』

2019-12-11 00:33:25 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


11/30(土)ノトスフリンジvol.2『舞姫』
観劇。
舞姫は、学生時代に初めて読んだ。
親になった今、改めて観て。
また違ったことを感じた。
複雑…揺さぶられる。
泣けてくるのに最後は泣けず。
自問自答で頭も体も重く(笑)。
でも観て良かった。
重い足でも迷っても間違っても、
自分で一歩を選ぶこと。
その先にあるものを
引き受ける覚悟を持ちたいと思った。

………………

さすがに十代前半の頃、この話は
ピンとこない部分もあった。

どちらかといえば
寄らば大樹の陰のような、
大きなものに属することが
良いことのように思っていたので
(周りの風潮も)

異国での、踊り子との
ささやかな暮らしよりも、
自国での、名誉ある仕事に
つくことの方が良いことだと
思っていたかもしれない。
(相手のことをかえりみなければ)

ただ、今も育った環境や考え方に
縛られていることは変わらず、
形を変えて直面してくる
問題があると、色々思い出された。


ふと思った。
なぜ豊太郎は罪の意識に苦しむのか。
うまく関係を切れたと
ほくそ笑むような人もいるだろうに。
ささやかな生活より
名誉の方が大事なら、
大事の前の小事として
割り切る人もいるだろうに。

罪だと感じるのは
まだ人間らしさがあるからで、
悩むのは、簡単に捨てられないものが
あるからなのかもしれない。

ならば、あの叫びも醜態も
人間らしさの表れなのか?
両立しないものを
何とかしたいという葛藤でもあるのか?


簡単に片方を切り捨てられるのは
合理的で判断力があるともいえる。
ただ、それだけ
犠牲になるものも多い。

どういう葛藤があるにせよ
踊り子、エリスの立場なら
捨てられることは
到底受け入れられない選択。

でも、その葛藤や心の内を
真摯に打ち明けられていれば
もっと受け取り方は
違っていたかもしれない。

どうにもならない選択でも
お互いが、自分の意思を伝え合えば、
まだ気持ちも違ったかもしれない。
また違った選択が
生まれたかもしれない。


日常を振り返り、
痛切に感じることもある。
小さなすれ違いでも
それらがいくつも積み重なって
大きなものになることもある。

それでも、自分と違う考えでも
自分と同じように葛藤する姿を見れば
心動くことがあるかもしれない。


でも、それが難しい。
果てしなく難しく感じる。

何事もなく、ぶつからず、
予定調和に逆らわず
それなりに日常を進める方が
楽で、効率もよい。


自分をさらすことは、
一歩間違うと大ケガになる。
そういうリスクを無駄とは思わないが、
多くの人にとっては
避けて通りたい、厄介ごとだろう。

考えすぎ?
考えない方が楽でいられる?
そうだろうか。
考えずに、取り残してきたツケが、
溜まっていつか
雪崩になりはしないか?


正解のない問題に
あれこれ考えを出し合ったり、
違う意見をやり取りすることは、
それ自体にも大きな
意味があるように思えた。

物語の本筋から
少し離れたけれど(笑)
そんなことを感じた舞台だった。

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11/29(金) ノトスフリンジvol.2 『稲生物怪録~物怪編~』

2019-12-10 22:08:01 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等
11/29(金) ノトスフリンジvol.2
『稲生物怪録~物怪編~』


三女と観劇。
驚かない人間をどう驚かせるか。
もののけ達のおかしな作戦会議。
怖いものは何だ?と、
あれやこれやの笑える珍回答が続く。
けれど、だんだん話は別の雰囲気に。

もののけになる前の生きていた頃、
人間から受けた仕打ちの方が
よほど怖く思えた。

成仏できずに、もののけとして
この世に残っているのは
無念の思いか、強い恨みか。

もののけたちが考えた3つの怖さ。
その怖がらせ方は
観客の拍手で選ばれた。

違う選択の回もあったのだろうか。
どちらにしても、怖いという感覚の
意味を考えさせられた。

怖いもの知らず
という言葉があるが、
怖さを感じる心がなければ
無敵のようにも思える。
思い悩むこともなく気楽でいられる。

けれど、
怖さを感じない者ばかりだとしたら
それはもうカオスな世界。
何も感じないことの方が怖いと思った。


観劇後に三女が話していた
怖いものに 思わず唸った。

ニュースなどで見る
テロや差別など、いわゆる怖い事件。
それは分かるとして…

“ 楽しそうにしている人(たち) ”

一瞬、え?となったが
何となく思い当たることもあった。

一緒に楽しさを共有できれば
そうは思わないだろう。
自分だけ取り残された中で
周囲のテンションとの温度差を
肌で感じることがあるのだと。

全く縁のない通りすがりの人ならば
逆にそうは感じないのかも。
繋がりがあるからこそ、その中で
切り離されることを怖く感じる。

三女の言いたいことは
そのようなことだった。
確かに。私にも心当たりがある。


また他には
自分が怖い、とも言っていた。

したくないのにしてしまう。
どうしてしたのか分からない、
そんな怖さ。
ニュースでも見る、
悪い薬の話は後をたたない。
きっと分かっているのに
やってしまうんじゃないかと。
薬に限らず、そういうこと
あるかもしれないという話になった。

そう思うと、
日常の中にも怖さがあるね、と。
特別な人じゃなくても、
ごく普通の人の生活の中にも
あるのだと思った。

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