マグネットシアター公演
『来る日も来る日も私は歩く』
2018年10月20日(土)/21日(日)
場所:ノトススタジオ
南アフリカの劇団、マグネットシアター。
泣いた。ほぼ言葉が分からなくても
伝わるって凄い。伝わるというか…
感じるものがあった。声、表情、動き。
人種や言葉が違っても、共通するものがある。
だから心に響くのだろう。
………………………
家が燃える。舞台上、家に見立てた絵から炎。
メラメラと燃える本当の火が、現実で
自分も同じ場に居るような感覚だった。
平穏な日常が突然奪われる怖さを
すぐそこに感じた。
姉と妹、そして母。声をあげる妹の元へ
かけよってきた母は何を見たのか。
声にならない悲鳴と、
妹に見せまいと必死に目を覆う姿から、
事の凄惨さが想像された。
姉の方はどうなったのか…。
妹とその母と、二人で歩き続ける。
真っ白い砂が、台の上に撒かれ
その上を、靴が一歩ずつ進んでいく。
ギュッ、ギュッときしむ音が耳に届く。
それだけで、何だか土の匂いがしたり、
土埃が見えたりするような気がした。
その一歩一歩は重く、
やっとの思いで進んでいるようだった。
ヒッチハイク、車に乗って遠くまで。
新しい土地、新しい言葉の中で
何とか生き延びていく親子。
母の気持ちを想像すると胸が痛かった。
ずっと姉が生きていると信じ、
手紙を書き続ける妹。
それを出してと頼まれ預かるも、
捨てられないままの母親。
長い時が流れ、ついに、
隠していた手紙を見つけられてしまう。
母に対して感情をぶつける娘。
飛び出していく。なすすべがない母。
けれどその後、母は娘に新しい靴を渡す。
それを受け取り、履く娘。
新しい一歩、なのかな。
姉へ書いた手紙を
妹は、まとめて燃やしていた。
あの場面、私には火葬に見えた。
何度か親族の火葬に立ち会い、
棺の中の身体が消えて骨だけになるのを見た。
別れの悲しさから、この先を生きるため
別れの決意のようなもの。
きっと忘れることはないけれど。
そういえば、
途中、黄緑の折り鶴が出てくる場面があった。
姉のサンダルが、そんな色だった。
あれは暗に姉を意味していたのだろうか。
それと、日本ならではかもしれないけれど
折り鶴は平和のシンボルでもある。
千羽鶴には願いを込める。
そんな、折り鶴。とても印象に残った。
鶴の羽ばたきや声の真似をしていた姿も覚えている。
とても和やかで楽しそうだった。
あんな日常であってほしいと思った。
2回観て、2回とも泣いた。
自然に内側から絞り出されるような感じ。
言葉の意味は分からずに、ほぼ人の様子だけで
これほど心揺さぶられるなんて。
なかなかない体験だった。
……………………………
スタッフとして劇団の方たちと
関わる機会が何回かあったので、
何とか感想を伝えたいと思った。
英語はしゃべれなくても
英単語を並べて書いたら
何となくニュアンスは伝わるのではないかと(笑)。
↓
違う言語は分からない。
けれど、気持ちは分かる。笑顔や泣き顔。
Ernestine(姉)は いない。
けれど、心の中にいる。
Aggie(妹)も、ママも、皆さんも。
私は歩く。一緒に。
たくさんの違いがある。
けれど、同じものもある。共通点もある。
とても感動した。心に響いた。
ありがとうございました!
……そんな、手紙を。
拙い単語を声に出して読みながら
何度も頷いてくれた。
少しは伝わったかな。嬉しかった。
さて、これはこれで良かった。
でもな、と思う。
それでは 同じ言語の日本人同士なら
分かり合えるのかと。
いや、そうでもない。むしろ
分かり合えるはずだという
思い込みがあるだけに難しいこともある。
少しのズレや違いが許せなくなる。
辛くなる。お互いさまだけど。
一度出来た溝を埋めるのは簡単ではない。
感動の先に、自分たちの現実に気付き
課題に向かって一歩足を進めなければ
という気持ちになった。
ワークショップの時に聞いた
南アフリカの話。その国の課題。
11の言語があるのなら
意思疏通の難しさはかなりだろう。
若年層の失業率が60%を超えていて
治安も悪いとか。
そんな自分たちの課題を演劇にしていると。
たぶん、言葉に頼らない演劇なのだろう。
ワークショップでも
動きで表現するところがあった。
その中でも、身振り手振りや
○○をしている形、ではなく
そこに在るように…ということが
求められていたかと思う。
形は、国や文化によって
大きく違うことがあるかもしれない。
さらに、進めて
単純にシンプルに…本質的なもの
ということでもあるのかな。
それは、ひょっとしたら
グローバルな見方に繋がるかもしれない。
何もかも違う現実を受け止めながらも
関わりや繋がりを持つことができたら。
すごく遠くのことを考えながら
すごく近くのことも考えさせられた。
道は まだまだ遠いけど、これからだ。
一歩ずつ、私も歩き続けよう。