10/21(土)
劇団 清流劇場
『メアリー・ステュアート』観劇
伊丹市、アイホールにて
三女が出演した映画『ある夏の送り火』で、
お父さんお母さん役だったお二人が
出演する舞台へ!
映画とはまた違うお二人の演技に
ドキドキわくわくでした。
……………………
原作はドイツの詩人・劇作家のシラー。
シラー作品の舞台を観るのは初めて。
メアリー・ステュアートについても
そんなに知識はなかった。
始まる前に、
時代背景や登場人物の関係などの
話があり、入りやすかった。
古典ということで、もちろん
普段の言葉より難しい言い回しなどはあったが、
緊迫感と勢いに引き込まれていった。
スコットランドの女王 メアリー・ステュアートと
イングランドの女王 エリザベス。
対立する二人や周囲の人々の姿に
胸を衝かれた。
猜疑心が負の連鎖を生む。
すべて信じることは難しいが、
誰も信じられなければ
出来ることも出来やしない。
背負うものに縛られる苦しさを感じた。
生きることの重苦しさが心に迫る。
時代は変わっても不自由はある。
職場で、あるいは学校で、家庭で、
生きにくさを感じることも
多いのではないだろうか。
時代も違う、
国家や政治や宗教などの
違いを背負う人たちだけど、
とても人間くさく感じられた。
境遇は違ったとしても
悩み苦しみ抗うさまに
同じ人間として共感できることはある。
それは、今を生きる私たちにも
通じるものがあるからかもしれない。
たぶん、観客それぞれに
自分と重ね合わせて感じられることが
あったのではないだろうか。
だから、泣ける。
胸の中から絞り出されるようだった。
そんな中ではあったが、
時にには滑稽に見えて
客席から笑いが起こる場面もあった。
まさかこんな展開の最中にと思ったが、
あまりにも困った状況は
端から見れば笑ってしまうものなのかも。
それは、単なるおかしさというより
自分にも身に覚えのある苦労、
それ分かるよ、という
共感の笑いだったのだろう。
少し前の場面から、
身勝手な言動を繰り返す男の態度に
声にならないざわつきを感じていて、
それがピークに達している感はあった。
(声にならないツッコミでもある・笑?)
感情を表に出したい衝動にかられ、
それが周囲の人とリンクしたのかも。
同じような感覚を共有できたのは
とても面白かった。
個人的には、
泣いているのに合間で笑うという、
何ともおかしな感じではあったが。
メアリーとエリザベス
対照的な二人の結末。
不当な罪も過去の贖罪として受け入れ
死んでいったメアリー。
メアリーが死ぬことで
王位継承権が安泰になったエリザベス。
けれど、拠り所にしていた人たちに去られ
女王としての重責を担い
孤独に生きていかなければならない。
手放しにエリザベスに味方できないが
共感できる部分もあった。
生きていくことは
二者択一では決められない
難しいものを背負っていくこと。
すべてが円満にいくことは稀かもしれない。
けれど、それでも
もっとお互いが寛容な心で
それぞれの生きる道を見つけられたらと思う。
人間は大昔から
同じような間違いを
繰り返しているかもしれないけれど、
出来ることはきっとあるはずと
立ち向かうような気持ちになった。
物語は悲劇だけど、そこから
私たちは何かを受け取り
その先を生きることが出来る。
そんな気持ちになった舞台だった。
……………………
◎アフタートーク・パネラー
津田保夫(大阪大学教授)
柏木貴久子(関西大学教授・清流劇場ドラマトゥルク)
田中孝弥(清流劇場代表)
アフタートークでは
稽古の前の勉強会、
シラー作品の翻訳や台詞の言葉、
演出についての話など聞けた。
作品がより身近に感じられたり
考えが深まったりできて良かった。
…………………
受付でもらったパンフレットは
そんなお話に繋がるような内容や、
家系図や年表など
読みごたえのあるものだった。
作品を振り返る時にも役立つ保存版!
芸術が人間にとって必要であるという
文章も共感できた。
シラーや、あの夏目漱石も
そのような言葉を残しているらしい。
深刻な人生を明るく生きていくためにこそ、
文学や芸術が必要だということ。
芸術作品が作り出す現実とは異なる世界では、
自分自身に関わる諸々の事から離れて
見ることができる。
渦中にあっては見えないものが、
離れることで見えたり感じたり
できるのかもしれない。
現実では、
“ あなたに私の何がわかる⁉ ”というように
違う立場の人の気持ちは解り難い。
けれどこのような場なら
色々と思い巡らせることもできそうだ。
そういう意味でも大切な場だと思った。
メアリーとエリザベスのことについても
興味が湧いて、検索したものを読んでみた。
知識としては浅いかもしれないが
舞台を観た後だと、より身近に感じた。
今回の作品ではこう描かれていたが、
実際の人物はこんなことを
考えていたのだろうか…など、
自分なりに想像することもできた。
何より 古典を通してまたひとつ、
同じように人生に立ち向かう人たちの
存在を知ることができた。