さざんかのゆるゆる散歩

自宅の花、家の近くをゆるゆる歩いて見た花、植物園で見た花などを
載せて行きます。日常の出来事や思い出、経験なども。

関宿城博物館見学

2022-05-08 23:15:50 | お城見物

野田市関宿は千葉県の西北の突端にある街で、利根川と江戸川の分岐点に位置します。かつての関宿城を模した関宿城博物館があるので、4日に見学に行って来ました。結構遠くて、ナビの案内どおりに行ったら渋滞があったせいもあり、2時間近くかかりました。

分かりやすいように地図を載せておきますね。

    

ゆるキャラのチーバくんは千葉県の形をしています。

 

                             

入口   

              

         

          

中は四階なっていて、一階には利根川の治水工事の説明や資料がびっしり展示されていました。資料が多くて、それも年代順になっておらず、分かり難くて困りました。帰ってからWkipediaなどで調べましたが、色んな川の名前が出て来て余計に分かりませんでした。

やっと簡単な説明を見つけたので載せてみます。

「古来、利根川は太平洋ではなく、江戸湾(現在の東京湾)に注いでいました。現在のような流路となったのは、数回に渡る瀬替えの結果です。近世初頭から行われた河川改修工事は利根川東遷事業と呼ばれ、徳川家康によって江戸湾から銚子へと流路を替える基礎がつくられました。
東遷事業の目的は、江戸を利根川の水害から守り、新田開発を推進すること、舟運を開いて東北と関東との交通・輸送体系を確立することにありました。

東遷の工事は、当時栗橋付近から江戸湾に流れていた利根川の流れを東に移し、台地を切り通して赤堀川としたほか、常陸川と多くの湖沼を結びつけて銚子に流すものでした。
事業は文禄3年(1594)から60年の歳月をかけて承応3年(1654)に完了。これによって、わが国最大の流域面積を誇る河川が誕生したのです。

利根川東遷より前、今の江戸川は渡良瀬川の下流で、太日川(ふといがわ)と呼ばれていました。利根川東遷により、渡良瀬川は利根川に流れ込むようになりました。一方、関宿から金杉(野田市)までの間を掘って新しい川を作り、利根川と太日川をつなぎました。こうして誕生したのが江戸川です。利根川と江戸川の分岐点になるのがこの関宿なのです。」

       

重機の無い時代の土木工事はさぞ大変だったろうと思います。

 

四階に登ってみました。四方の景色が見えるようになっています。

         

北側  利根川と江戸川の分岐点です。奥は茨城県、右に流れるのが利根川、左が江戸川です。分岐点までは1km、道があって無いような歩いては行き難い場所だそうです。

         

東側に利根川が見えます。

          

南側 真ん中付近の鉄塔の左奥にうっすらと見えているのがスカイツリーだそうです。

 

外に出て、お城の写真を撮りました。

          

1995年に出来たそうで、小さいけれど綺麗です。

           

          

           

周囲はのどかな田んぼで、田植えが済んだところもありました。     

         

階段があったので上ってみると、細い江戸川の流れが見え、ちょっと感動しました。

うちの近くを流れているのは、「江戸川放水路」です。

「江戸川放水路は、1919年に江戸川の河口部が開削され、誕生しました。この放水路の目的は、河床上昇による洪水の被害を避けるためで、かつては明治時代になっても洪水被害が頻繁に発生していました。ですから、開削された川を「放水路」と呼ぶようになったのです。江戸川放水路は江戸川の本流となったため、篠崎から下流の旧流路は「旧江戸川」と呼ばれるようになりました。」

ついでに、旧江戸川と江戸川放水路の分岐点の写真を以前撮ってあるので載せましょう。

      

江戸川水門と閘門  ここで川の水位を調整しています。うちから歩いて20分位の所にあります。

 

話がそれてすみません。関宿博物館は高齢者は入場無料、駐車場も無料で驚きました。売店はありましたが、カレーしかないような食堂は 閉鎖されていました。お昼になってもアイスクリームしか食べられず、帰り道でやっと天ざるを食べました。有料でいいから、もう少し軽食を食べられる場所を作って欲しいです。見物客は皆アイスクリームを食べていました!

やっと良い天気になったこの日、見学とドライブを楽しんで来ました。