よっちゃんの独り言

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河岸(かし)跡を訪ねる

2014年12月02日 | 日記
歴史講座に出席した。

今日は「河岸跡を訪ねる」の1回目。

常陸大宮市内の河岸跡4カ所を訪ねた。

河岸とは近世の河川において、諸物資や旅人の揚陸、積下しを行った船着場をいい、積み荷を牛や馬による小運送への積換地として河川問屋や倉庫、旅篭、茶屋などで賑わったところだ。

おもな河川には1里から2里の間隔で河岸問屋があり、それぞれ後背地を持ち、それぞれの仲間を結成して河岸株に対する「運上」「冥加」などの税を納めた。

市内を流れる「久慈川」「那珂川」にも多くの河岸があった。

まず久慈川の「山方河岸跡」を訪ねた。

久慈川は那珂川と比較し水量が少なく、浅瀬も多く大型船の航行はむずかしく主として奥州南部と保内郷近在の江戸廻米や木材などの水路として利用された。

山方河岸跡は現在の「岩井橋」のたもとに河岸があり、当地の名士の子孫である根本家当主から説明を受けた。


現在の根本家と河川敷との間には国道118号が通り、その面影は感じられなかった。

続いて「高渡河岸跡」を見学。

ここは全くその面影はない、久慈川に小川が流れ込む合流地点にその河岸はあったとのこと。


「上岩瀬河岸跡」へ

ここも護岸工事により堤防が整備されその面影を偲ぶことはできなかった。


続いて那珂川に向かい「小場河岸跡」へ

那珂川はその水源が那須地方で、久慈川と比較すると大河である。

水量も豊富であったことから活発な水運の歴史があったようだ。

ここもその面影を確認することはできなかったが、那珂川の流れや当時渡し舟が運行されていた事実もありわずかに偲ぶことができた。

ここは「茨城百景」となっておりその碑が建っていた。


自動車などがない時代、人々は水運により様々な経済活動を行ってきた。

その時代を垣間見ることができた一日だった。