昨年から親鸞聖人の高弟子達24人が興したと言われる寺院二十四輩めぐりを始めた。
浄土真宗の開祖「親鸞」は1214年(鎌倉時代)に流罪に処せられていた越後から関東に移された。
越後から信濃、上野、下野、武蔵国を経て下総に出、常陸の国に落ち着いた。
二十四輩旧蹟寺院はさらに細かく分類すると30寺を超え、親鸞の影響の大きさを知ることになる。
本巡りでは二十四輩寺院の一つである第二十三番「水戸信願寺」発行の「親鸞聖人関東旧蹟巡拝集印帳」により巡拝を始めた。
すでに昨年、水戸信願寺、二十四番「本泉寺」の参拝を済ませた。
今回は、茨城県西地域の寺院である「報恩寺:常総市」「東弘寺:常総市」「西念寺:坂東市」「妙安寺(三村):坂東市」の4寺院を訪ねた。
第一番報恩寺(下総報恩寺)では、残念ながら本堂での参拝はならなかったが、坊守(浄土真宗での住職の妻の呼称)さんに御朱印をいただくことができた。
今に伝わる寺院の崇高さを感じることができた。
続いて常総市の第九番東弘寺に。
住職は不在だったが、坊守さんが本堂に招いてくれた。
立派な御朱印に感謝し、ご本尊に頭を垂れ由緒の説明を受けた。
坂東市の第七番西念寺へ。
西念寺では庫裡の改修工事を行っていた。
それでも坊守さんが本堂に招いてくれ、お茶の接待まで受けた。
体調不良で救急車で入院、一昨日退院したばかりとの体で懸命に話をしていただいた。
ありがたい。
そこへ住職さんが戻り、いろいろな話を聞くことができた。
ご夫妻の写真を撮らせていただいたが、ここに掲載はできないだろうな。
丁寧に感謝の言葉を述べ西念寺をあとにした。
坂東市の第六番妙安寺(三村)へ。
第六番妙安寺は複数有り、群馬県前橋市、茨城県境町にもある。
今回は三村の妙安寺を訪ねた。
入り口を逸れ奥の駐車場に止めた。
それが正式な参道と聞かされ、立派な山門をくぐることができた。
住職さんに本堂へ招かれ、寺の縁起や東日本大震災直前に落慶した本堂、客間などを見学させていただいた。
江戸時代の古地図に描かれている見事な「しだれ桜」の古木も拝見することができた。
今回の巡拝では住職さん坊守さんの気さくな人柄に接し、温かい歓迎を受けた。
感謝。
浄土真宗の開祖「親鸞」は1214年(鎌倉時代)に流罪に処せられていた越後から関東に移された。
越後から信濃、上野、下野、武蔵国を経て下総に出、常陸の国に落ち着いた。
二十四輩旧蹟寺院はさらに細かく分類すると30寺を超え、親鸞の影響の大きさを知ることになる。
本巡りでは二十四輩寺院の一つである第二十三番「水戸信願寺」発行の「親鸞聖人関東旧蹟巡拝集印帳」により巡拝を始めた。
すでに昨年、水戸信願寺、二十四番「本泉寺」の参拝を済ませた。
今回は、茨城県西地域の寺院である「報恩寺:常総市」「東弘寺:常総市」「西念寺:坂東市」「妙安寺(三村):坂東市」の4寺院を訪ねた。
第一番報恩寺(下総報恩寺)では、残念ながら本堂での参拝はならなかったが、坊守(浄土真宗での住職の妻の呼称)さんに御朱印をいただくことができた。
今に伝わる寺院の崇高さを感じることができた。
続いて常総市の第九番東弘寺に。
住職は不在だったが、坊守さんが本堂に招いてくれた。
立派な御朱印に感謝し、ご本尊に頭を垂れ由緒の説明を受けた。
坂東市の第七番西念寺へ。
西念寺では庫裡の改修工事を行っていた。
それでも坊守さんが本堂に招いてくれ、お茶の接待まで受けた。
体調不良で救急車で入院、一昨日退院したばかりとの体で懸命に話をしていただいた。
ありがたい。
そこへ住職さんが戻り、いろいろな話を聞くことができた。
ご夫妻の写真を撮らせていただいたが、ここに掲載はできないだろうな。
丁寧に感謝の言葉を述べ西念寺をあとにした。
坂東市の第六番妙安寺(三村)へ。
第六番妙安寺は複数有り、群馬県前橋市、茨城県境町にもある。
今回は三村の妙安寺を訪ねた。
入り口を逸れ奥の駐車場に止めた。
それが正式な参道と聞かされ、立派な山門をくぐることができた。
住職さんに本堂へ招かれ、寺の縁起や東日本大震災直前に落慶した本堂、客間などを見学させていただいた。
江戸時代の古地図に描かれている見事な「しだれ桜」の古木も拝見することができた。
今回の巡拝では住職さん坊守さんの気さくな人柄に接し、温かい歓迎を受けた。
感謝。