緊急事態宣言の発令で出かけるのが気になったが、我が家から20㎞ほど、同じ県内なのでと出かけた
常陸太田市にあり、真言宗豊山派の寺院だ、坂東33観音の第22番霊場「佐竹寺」
創立は西暦985年(寛和元年)
本尊は「十一面観音菩薩」だ
妙福山佐竹寺といい、「北向観音」とも呼ばれている
佐竹氏代々の祈願寺と定め、天文15年(西暦1546年)佐竹18代義昭が佐竹城の鬼門除けとして現在地に再建し、「北向観音」とも呼ばれている
慶長7年(1602年)佐竹氏が秋田に移封されてからは急速に衰えた
明治維新の廃仏毀釈で荒廃し、のちに本堂が特別保護建造物、国宝に指定されながらも無住の寺だった
昭和24年、前住職の努力で寺観も整い今日に至っている
山門を正面から
本堂
歴史を感じる柱
本堂前には「大銀杏」
住職から「疫病退散の押印」も入った「御朱印」をいただき、参拝ののち佐竹寺を後にした
常陸太田市にあり、真言宗豊山派の寺院だ、坂東33観音の第22番霊場「佐竹寺」
創立は西暦985年(寛和元年)
本尊は「十一面観音菩薩」だ
妙福山佐竹寺といい、「北向観音」とも呼ばれている
佐竹氏代々の祈願寺と定め、天文15年(西暦1546年)佐竹18代義昭が佐竹城の鬼門除けとして現在地に再建し、「北向観音」とも呼ばれている
慶長7年(1602年)佐竹氏が秋田に移封されてからは急速に衰えた
明治維新の廃仏毀釈で荒廃し、のちに本堂が特別保護建造物、国宝に指定されながらも無住の寺だった
昭和24年、前住職の努力で寺観も整い今日に至っている
山門を正面から
本堂
歴史を感じる柱
本堂前には「大銀杏」
住職から「疫病退散の押印」も入った「御朱印」をいただき、参拝ののち佐竹寺を後にした