1995年1月17日午前5時46分・・・・・
淡路島を震源とするマグニチュード7.2の直下型大地震が神戸を襲った。
あれから27年になる。
あの時の事は今でも覚えている。
私は大阪府の高石市に、4階建てのマンションの4階に住んで居た。
就寝中にドンと突き上げられるような揺れに目が覚めた。
地鳴りの様な音も感じて、左右・上下に激しく揺れている
枕元にあった14インチのテレビが飛んで落ちそうになったのを押さえた。
洋服箪笥の上にあった段ボール衣装ケースが頭の上に落ちてくる。
台所から食器の割れる音がする。
建物が倒れると思った・・・倒れるなら・・あっちの方向にと願う
と思っていたら・・激しい震動が治まった。
大きな家具の倒壊は免れてホッとした。
台所の冷蔵庫が50Cm移動して、食器戸棚の扉が開いて食器が落ちて割れていた。
被害はその程度だった。
24時間操業の会社が気になり、車で真っ暗の中会社に、道路も大きな橋も大丈夫。
会社の近くは液状化で泥水が噴き出していた。
会社は停電も無く、大きな問題は無く操業をしていた。
私の事務所は、書棚が倒れて書類が散らばっていたが被害は無い。
明るくなった頃には仲間も出社して来た。
テレビで神戸の状況が分かり愕然とした。
神戸には長男が居たがどうなったか??・・後で無事の確認が出来た。
翌日に神戸の長田区にある、取引のある会社から地震で機器が倒壊したと
ヘルプが来た。
早急に工場の操業を再開したいので、被害の確認と補修に向けた調査を依頼された。
神戸の長田区に行く方法は車と電車は使えないので、
泉佐野港から大型漁船をチャーターして、寒い大阪湾を横切って、
震災の三日後に、5人チームで神戸の客先工場に行く。
近くの川に入り、岸壁を登り工場に入り調査して、夕方には船で大阪に帰る。
途中で帰れずに、工場内に宿泊もした。余震が多く怖かった。
行くたびに周囲で火災があり景色が変わっていた。
これを一週間行い、被害調査と補修方法を検討した。
補修用の資材を集めて、船で資材を運び工場の再操業に約一ヶ月でこぎつけた。
今考えると、不便の中で良くやったなと思う。
会社生活で一番の思い出になっている。
この災害を風化させてはいけないと思い。
地震の三か月後に、毎日新聞社から「阪神大震災全記録」が出たの購入した。
毎年1月17に本棚から出してみている。
トンガの海底大地震は観測史上最大で、噴煙が地球を覆い太陽の熱が遮断されて
地球環境に影響出てくる心配があるそうです。