死にざまを見するともなく見せつける微動せぬ樹の風待つこころ
昼休みになるのを待って陽光を
浴びるために工場から出てみた。
工場というのはどうにも薄暗いもので
眩しいや。
暗さは仕事に差し支えるが照明を
増やす経費もないし。
小春日和が続いている。
もう週末だ。土日はお出かけ日和と
テレビが笑っていたが、明日は私の
短歌教室で、明後日はこのところ
毎週のように執筆の決意表明をしている
原稿書きに勤しむ予定で
どうにか目鼻くらいつけなければならぬ。
私の生業であるモノづくりの世界では
目鼻がついたとか、お釈迦になったとか言う。
「お釈迦になる」ってわが業界では失敗したってことだ。
お釈迦の方の意味を調べたことがある。
「阿弥陀像を作ろうとしていつのまにかお釈迦様を作ってしまった」
ということらしい。
目鼻がつくの方は調べなかったけれども
人形作りかなんかかな。
目鼻がつけば出来上がったようなものだ。
最悪なのは
目鼻がついてからお釈迦になったことに気づくこと。