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認印の数は?

2009年09月26日 | 日本再生

家庭で、宅急便を受け取る時、受領印(三文判)を、
一つ押しますね。
売買契約を結ぶ時には、甲乙夫々署名して、
印鑑証明付きの実印を押し、捨印も押しますね。
一般家庭では、捺印の種類は、

殆どこの二種類でしょうか。

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会社組織になると、担当者から上司へ、書類が上る毎に、
認印が増えていきます。
日本では、その印の数は、規定がなく、小さな会社では、
担当者と社長の二個が多く、普通は三四個でしょう。

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ISO9000とか14000等の、認証を取得した会社は、
如何なる文書も、三人が押印すると、決まっています。
その文書の作成者と、その書類を審査した人、
もう一つは、その書類を承認した人ですね。
この場合、その文書から、何らかのトラブルが、

発生した場合、その文書を承認した人の、

責任となります。

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日本の省庁や半官企業では、私の知る限りでは、

9個(人)押します。

何故、そんなに認印が、必要なのでしょう。

判を押す文書は、内容に間違いはなく、
後々異議は唱えません、という確認を意味しますね。
では官僚は、そんなに、責任を取りたい人ばかり、
なのでしょうかね。
そんな筈はないでしょう。
実際、責任問題が発生すると、皆「私には責任がない」と、

言い逃れに、汲々としています。

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では、彼らは何のために、押印するのでしょうね。
それは、仕事をしている証になると、

考えているからなのですね。

書類の中身を、熟読吟味して、押印しているのではなく、
押印したことが、仕事をしたと、勘違いしているのです。
良く「中身を精査して、決定しました」と言い訳します。
自分が、入れ込んでいるテーマは別にして、
殆んどの押印は、席に着いたら判を押すという、

ルーチンワークになっているのです。

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一方ISOは、イギリスが発祥で、人間不信(性悪説)が、
根底に有ると、言われています。
それは兎も角、責任と権限を、明確にしている点で、
合理性があります。

新政権は、「脱官僚政治」と言っていますが、
同時に官僚が、「私の権限と責任において、

決定しました」と言わせるシステムを、

構築することも、大事ですね。