こんにちはー!!!
なんか今、別件でモヤモヤしてるので、そのスキにブログを書こう!というわけで、昼間に投稿ですー。明日は3時すぎに出なきゃだしねw
さてさて、
Twitter(今やXだけど)界隈で、ちょいと「お稽古ごとの月謝に新札」って話がいろいろ盛り上がってて、
どうやら、バレエか何かのお月謝にピン札を入れて行かなかったときに、先生が「将来恥をかかないために言うけど、こういうときは新札を入れるモノだよ」と言ったのが、悪いとかありえないとか、普通だろう?とか、そういう論議。
この先生の発言に対して、めちゃくちゃ悪く言ってる人も多いし、
今どき時代錯誤だ
先生って言われて良い気になってる
この忙しい時代に新札わざわざ交換に行けるほど暇じゃない
マナーの押し付け
キャッシュレスの時代なんだから、銀行振込とかペイペイなどにしろ!
とか、いろいろ言われてる。
私は、レッスン代は「ピン札」派です。
もちろん、ピンピンのピン札が用意できないこともあったからね、ダメなこともあったけど、
ここでさ、
例えば、塾とかなんかでね、
「サービス業として」考えれば、いちいち新札用意しろとか、現金じゃなくて振込にしろとか、メンドクサイとか、分かるよ。
コンビニでお買い物するのに、ピン札用意しますか?ってのと似た話になるわけでしょ?
でも、じゃあどうしてお稽古事でピン札かって言うと、
先生って、サービス業じゃなくて、その道のプロフェッショナルとしてたくさんの修行をしてきていたり、普通じゃ知り得ないようなことをたくさん知っていたりするわけで、
その、お金じゃ得られないような、たくさんの研究や研鑽の結果を、どうかそこで少しでも盗みたい、分けて頂きたい、垣間見たい、、、、
そんなとき、どうしますか?って話なんだと思う。
同じ金額だとしても、
ピン札を用意して、レッスンであればたくさん練習をして、気持ちをその日に向けてちゃんと整えて、
そして、そこにお稽古に行ったならさ、
先生は、その金額以上の何かをあなたに授けたくなったりするかもしれない。
そのチャンスをどう考えるかってこと。
お金はレッスンの後に払うかもしれないけど、それを受け取ってあとで見たときに、
ボロボロのお金が出てきたりすれば、
ハーン、なるほど、レッスンってのをこの程度に考えてるのかー、、、とは正直思うかもしれない。そしたら次のときに、少し何か熱量が変わっても仕方ない。
そんなのモッタイナイ!!!
交通費かけて、時間かけて、プロから何かをちょっとでも引き出そうって時に、
そんなことくらいで、出し惜しみされちゃうなら、その損失って結構大きくない?
そういう、今この時間に懸けてきたんです!!!という「気持ち」としてのピン札だと思うんだよね。
どうでも良いルーティーンの瞬間じゃなくて。
塾だってさ、
そのくらいのテンションで1回1回習いに行けば、物凄く効果があるかもしれないよ!
親が、そんなに面倒して、そんなに準備して塾に行かせてくれてる、と思ったら、1回の授業粗末にできないよ。
そういうことだと思う。
マナーじゃないんだよ。
先生が偉いからじゃないんだ。
その時間にどのくらい懸けて来たか、の表れとしてのピン札なんだよね。
そして、なにとぞよろしくお願いしますの気持ち。
そりゃ、用意できない時もときにはある。
そういう時は、「すみません、新札が用意できなくて、、、」とひと言添えるだけで、用意したいという気持ちがあったことは示せるし、それで金額が変わるわけじゃないことを先生も百も承知だから、なにもイヤな気持ちにもならないし、全然良いですよ!ってなるわけで。
そういう「心」とか「気持ち」とかが、抜け落ちて、
効率とか、対等とか、等価とか、
そういうことだけでモノを考えると、逆に損したりする、、、ってことなんだろうなー。
日本人って、プレゼントのラッピングとか、めっちゃこだわるじゃん?
キレイな包装するじゃん?
同じ中身なんだから、包んでなくて良いじゃん?ってしない人達じゃん?
Amazonの箱が壊れてても、文句言う人たちじゃん?
虫が食った野菜も買わない人多いじゃん?
ホントは逆で、曲がったキュウリでも虫が食った野菜でも、良い。
でも、ちょっとした心を込めたいときには、キレイなお札とか用意してみてもいいんじゃないかな?価値が一緒だから良いじゃん?って言っちゃうと、相手はじゃあ金額分だけ教えます、ってなっても仕方ない。
そんなことを思ったのでした。