こんばんはー!!
先日、お仕事仲間が生徒にアドヴァイスしていた言葉が、めちゃくちゃ的確で素晴らしかった&え?そうなの?!!みたいなところがあって!!
でその中で、
ハイトーンほどゆっくりの息を入れるようにしている
っていうのが、ななな?!!そうなの???って。
ワタシの知ってる話では、
ハイトーンは圧力、とか
ハイトーンはスピード、とか
ただ「量」って言った人はいないね。(吐く量のことね)
アパチュアのことを言う人もいるし、
舌の高さ(シラブル)を言う人もいるし、
腹圧だという人もいる。
そういうのは知ってたけど、
ハイトーンほど「ゆっくり」?!
そうなのか、、、そうなの???
みんなそれ知ってたのか、、、普通そうなの??みんなそうしてたのかぁ、、、
うぉー!!!知らなかった。。。今までいろいろ調べてきたのに、知らずにやってきてしまった、、、
ということは、生徒にもウソ教えてきてしもーた、、、😢
最初に「ゆっくり」って聞いたときは、へー!!いいこと聞いた、やってみよう!!って感じだったんだけど、
次の日、実際にやってみたんだよね。あああ、なーるほど!!って思うところがたくさんあって。
「ゆっくり」と思うことで、
無駄な力みを避けることができる。
アパチュアの直前まではゆっくりな息で持ってきて、そうするとそこまでは息の量がたっぷり目に準備することができるので、アパチュア抜けたときのスピードが結果的に速い感じになる。
などなど、
なるほど、体感で「ゆっくり」をイメージすることで、アンブシュアや身体にかかる力みや負担を減らした状態で、結果としてアパチュア抜けるときのスピードは上げることができるようです。
これは、いいぞ!!!
で、それはワタシの感覚というか、ワタシの感想なわけですけど、
みんな今までそういうこと言ってたの??私は知らなかったよぉ、、、
というわけで、世間がなんて言ってるのか知りたくなって、ちょいと調べてみた。
すると、、、
ぶっちゃけて言うと、まったく共通見解ってのがあるわけではない、、、ってのが正直なところってのが分かったわ!!!
一番最初に書いた、腹圧とか息圧、息のスピード、シラブル、たっぷり吸ってあとは縮んでいく力で、、、こういうのがほとんどで、それはワタシの知ってるところと同じ。どっちの見方もあるよね、という感じで思ってたやつ。
論文を用いて、それをさらに分析している方もいらしたけど、
その用いた論文の定義しているところに疑問を持ちながら(ツッコミ入れながら)分析せざるを得ないっていう状況で、数値を用いたものであってすら、圧力といってもどこでのことかとかが主観的になりがちで、難しいらしい。
圧力を上げるとスピードが上がる、ってのが前提だとばかり思っていたけど、
まさかの圧力を上げるとスピードが落ちる、という前提もあり得るとのこと。
ふむふむー!!
するってーと、ある程度が経験則によるもので、その経験則がその人に合ってるから、自信を持ってお伝えしてる、、、ということであって、かっちりと科学的な方法があるってことではないのかー。
そしたら、体感的なところはおいといて、結局どうなるとハイトーンが出るっていうメカニズムなのさ??
そりゃやっぱり息のスピードが速いことが大切なのでは??
空気の疎密によってできる定常波の周波数が高ければ(波長が短ければ)高い音になるわけでしょー?
やっぱり、唇の振動もいるのか、、、いるよね、、、
でも、バジング不要と思ってる人も中にはいるじゃない??
それもありな気もするわけよ。疎密波が出来るきっかけだけあればいいんじゃないか?的な。。。違うか、、、
こんな風に、科学がめっちゃ進んでいるように見える世の中だけど、
単にトランペット吹くってことの科学が、実は結構な経験則w
あとは、口を通り道にだけして、息を上あごに向かって吐くっていうのもあるでしょ?
あー!!!息の吐き方も、腹を突き出す感じで、というパターンと、腹・骨盤底筋・肋骨を身体の中心に向かって縮めていくことで息を吐く、という考えもある。
その人に合ってればいいんじゃね?ということもできるし、
教えるときにそんな無責任な感じでいいの?という気もするし、
でも実際、いろんなパターンがあって、それぞれが正しいとされてるなら、自分に合ってる方法でどうぞ、、、となってしまう気もするし、
そんなときに、今「新編 教えるということ 大村はま著」を読んでるんだけど、これ読むと、教師は教えることにもっと責任を持て!!とあって、子どもができないのは先生の責任だ!!ってあって、尻をひっぱたかれます。
昭和の初めの方から40数年、教師をなさって来た人のお話なんだけど、こういうのを読むと、「ウチでやってきて」「今日は読んできましたか?」なんていうのは、先生としてダメだと。
ウチは生活の場で、勉強は学校でやるもんだ!!習いに来てるんだから、先生がしっかり叩き込まなくてどうする!鉛筆の持ち方とかは小学校の初めのうちに手を取って直してあげねばダメだ!とか、黙読のときに唇が動いている子がいたら、徹底して直さなければいけないとか(唇が動いてるってことは、読み上げているってことで、それでは本を素早く読むことができない)、なかなかにムムムと声を上げたくなるような指摘が多いですよ。
先生としての在り方を教えてくれる本を読みながら、トランペットの奏法について考えると、なんだかチリチリしてきます。
ああ、先生たるもの、生徒に音楽や演奏する喜びを伝え、もっとしっかりと生徒が困らないように技術を叩き込まねばならない、、、
そして、先生というのは勉強や研究をし続けている人でなければならない、と。
そうやって研究していくことはほとんどが苦しみだけど、何かがわかったときの素晴らしさは格別で、そういう人だからこそ学ぼうとしている子どもと同じフィールドに立つ人間として、人に教えることができる、と!!
深すぎて悶絶です。
そんなわけで、こういうことをよすがに、少しずつ理解を深めていこうと思います。
それでは、何となく気絶してきたので、これにて寝ますー。また明日ー(^▽^)/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます