京都に行ったのは、昨年末に亡くなった義母の納骨の為でした。
浄土真宗では、お墓と京都の親鸞聖人墓所に納骨(分骨)する家も多いのです。
早朝4時過ぎに出ました。
今日の京都はくもりから雨という天気のようです。
名神高速の多賀SAで休憩
なんかあるよ・・・・
こういうものに反応するようになりました
なんじゃこりゃ!?
怖っ!!!
いったいなんですかこれ!
<きゃぁ~逃げろ~
そんなこんなで8時半に京都の目的地に着きました
真宗大谷派東本願寺の大谷祖廟です。
真宗門徒が宗祖として仰ぐ親鸞聖人の墓所が大谷祖廟で、
ここに納骨すると「永代経」といって、毎年のお彼岸などで読経をしてくれるのです。
平日の朝早くとなると誰もいません。
我々ともう一人の二組だけでした。
実はここに来るのは二回目です。
今から十数年前に若くして亡くなった義父もここに納骨しています。
その時は多くの人がいて納骨するまで暑い中長く待った記憶があります。
さようなら・・・
義母は親鸞聖人のお側へ、そして義父が眠っている場所へといきました。
無事納骨を終えることができたので、あとは自由時間です。
さぁ京都観光だ
この付近にも見るべきところがあるので、さっそくブラついた。
隣にある円山公園です。
先日襲来した台風21号の爪痕です。
関西では被害が大きかったですので、あちらこちらでこういう光景を見ました。
京都っぽい裏通り。
八坂神社です。
立派ですねぇ
今回の京都で、
オイラが一番行きたかった場所へ向かいます。
はい到着しました。
ブラタモリ京都でも紹介された・・・
インクライン(傾斜鉄道)です。
おぉ!
ここは琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間です。
琵琶湖から京都まで人工的に小さな運河を作って1891年(明治24年)から1948年(昭和23年)まで実用されました。
この場所はあまりにも落差が大きかった為、舟が運行できないので、このような台車に乗せて傾斜を上下させました。
おっブラタモリでも紹介されたイギリス製の犬釘だ。
上まで登ってみました。
ここから舟は台車に乗せて運ばれたのです。
インクラインを見ることができてオイラは満足でした。
カミさん&娘には不評でしたが・・・
(登りがきつかったかな)
すぐ隣にある南禅寺に来ました。
大きな三門。
太い柱だ。
そして法堂です。
しかしここでオイラが見たいのは、その奥にある・・・
境内を横切る水路閣だ。
この南禅寺には多くの観光客が訪れますが、これを見たくてみんな来るのでしょう。
古刹の寺と明治の近代的建造物のミスマッチ風景が面白いのだ。
今でも水路は使用されてます。
かっこいい水道橋ですね。
南禅寺を出ると、近くに琵琶湖疏水記念館がある。※疏水(そすい)
ラッキー入館無料でした。
ここでは琵琶湖疏水やインクラインのことがよくわかりました。
明治時代の京都ビックプロジェクト、凄い執念で実現されたんですね。
インクラインが動く模型もありましたよ。
ちょうど昼になったので、カミさん推薦のお店で昼食です。
有名なうなぎ屋さんだそうで、
雰囲気あるね。
旨かったっす。
食後はスイーツですよね。
こちらは娘の推薦のお店。
抹茶は一番濃いレベル7で注文です。
濃い~
お腹もいっぱいになったので観光再開!
外国人が日本で一番行きたい観光場所へ行きました。
はい
でました伏見稲荷大社です。
やっぱり華やかですねぇ
お稲荷さんもスマートでかっこいい感じ。
そしてここで有名なのが、
千本鳥居。
ただ残念なことに、ここも台風の被害により・・・
おみくじを引きました、末大吉。
たびだちは、
よしです。
とにかくここは赤、赤、赤で、SNS映えする場所ですね。
外国の人に人気があるのがわかります。
いよいよ雨も降ってきましたし、
夕方になったので早めに帰路につきました。
名神高速から北陸自動車道に入るとホッとします、
やっぱり北陸人ですね。
福井の南条SAにて
京都は何度か行ったことがありますが、
やっぱり凄い町でした、さすが千年の都です。
日本で一番、いや世界的にもトップクラスの観光都市ですね。
今回は関西国際空港が部分的しか復旧していないので、外国人観光客は相当少ないと言われてました。
たしかにそうだったと思いますが、それでも相当の観光客がいました。
これがピーク時だったらと思うと、正直ぞっとします。
だからオイラは金沢がちょうどいいんです。
この歳になったからかなぁ、オイラには石川県や北陸が合ってるとあらためて思いました。
それでも、秋の京都を一度じっくり堪能してみたいなぁと思うオイラなのだ。
【ヒゲ親父】
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浄土真宗では、お墓と京都の親鸞聖人墓所に納骨(分骨)する家も多いのです。
早朝4時過ぎに出ました。
今日の京都はくもりから雨という天気のようです。
名神高速の多賀SAで休憩
なんかあるよ・・・・
こういうものに反応するようになりました
なんじゃこりゃ!?
怖っ!!!
いったいなんですかこれ!
<きゃぁ~逃げろ~
そんなこんなで8時半に京都の目的地に着きました
真宗大谷派東本願寺の大谷祖廟です。
真宗門徒が宗祖として仰ぐ親鸞聖人の墓所が大谷祖廟で、
ここに納骨すると「永代経」といって、毎年のお彼岸などで読経をしてくれるのです。
平日の朝早くとなると誰もいません。
我々ともう一人の二組だけでした。
実はここに来るのは二回目です。
今から十数年前に若くして亡くなった義父もここに納骨しています。
その時は多くの人がいて納骨するまで暑い中長く待った記憶があります。
さようなら・・・
義母は親鸞聖人のお側へ、そして義父が眠っている場所へといきました。
無事納骨を終えることができたので、あとは自由時間です。
さぁ京都観光だ
この付近にも見るべきところがあるので、さっそくブラついた。
隣にある円山公園です。
先日襲来した台風21号の爪痕です。
関西では被害が大きかったですので、あちらこちらでこういう光景を見ました。
京都っぽい裏通り。
八坂神社です。
立派ですねぇ
今回の京都で、
オイラが一番行きたかった場所へ向かいます。
はい到着しました。
ブラタモリ京都でも紹介された・・・
インクライン(傾斜鉄道)です。
おぉ!
ここは琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間です。
琵琶湖から京都まで人工的に小さな運河を作って1891年(明治24年)から1948年(昭和23年)まで実用されました。
この場所はあまりにも落差が大きかった為、舟が運行できないので、このような台車に乗せて傾斜を上下させました。
おっブラタモリでも紹介されたイギリス製の犬釘だ。
上まで登ってみました。
ここから舟は台車に乗せて運ばれたのです。
インクラインを見ることができてオイラは満足でした。
カミさん&娘には不評でしたが・・・
(登りがきつかったかな)
すぐ隣にある南禅寺に来ました。
大きな三門。
太い柱だ。
そして法堂です。
しかしここでオイラが見たいのは、その奥にある・・・
境内を横切る水路閣だ。
この南禅寺には多くの観光客が訪れますが、これを見たくてみんな来るのでしょう。
古刹の寺と明治の近代的建造物のミスマッチ風景が面白いのだ。
今でも水路は使用されてます。
かっこいい水道橋ですね。
南禅寺を出ると、近くに琵琶湖疏水記念館がある。※疏水(そすい)
ラッキー入館無料でした。
ここでは琵琶湖疏水やインクラインのことがよくわかりました。
明治時代の京都ビックプロジェクト、凄い執念で実現されたんですね。
インクラインが動く模型もありましたよ。
ちょうど昼になったので、カミさん推薦のお店で昼食です。
有名なうなぎ屋さんだそうで、
雰囲気あるね。
旨かったっす。
食後はスイーツですよね。
こちらは娘の推薦のお店。
抹茶は一番濃いレベル7で注文です。
濃い~
お腹もいっぱいになったので観光再開!
外国人が日本で一番行きたい観光場所へ行きました。
はい
でました伏見稲荷大社です。
やっぱり華やかですねぇ
お稲荷さんもスマートでかっこいい感じ。
そしてここで有名なのが、
千本鳥居。
ただ残念なことに、ここも台風の被害により・・・
おみくじを引きました、末大吉。
たびだちは、
よしです。
とにかくここは赤、赤、赤で、SNS映えする場所ですね。
外国の人に人気があるのがわかります。
いよいよ雨も降ってきましたし、
夕方になったので早めに帰路につきました。
名神高速から北陸自動車道に入るとホッとします、
やっぱり北陸人ですね。
福井の南条SAにて
京都は何度か行ったことがありますが、
やっぱり凄い町でした、さすが千年の都です。
日本で一番、いや世界的にもトップクラスの観光都市ですね。
今回は関西国際空港が部分的しか復旧していないので、外国人観光客は相当少ないと言われてました。
たしかにそうだったと思いますが、それでも相当の観光客がいました。
これがピーク時だったらと思うと、正直ぞっとします。
だからオイラは金沢がちょうどいいんです。
この歳になったからかなぁ、オイラには石川県や北陸が合ってるとあらためて思いました。
それでも、秋の京都を一度じっくり堪能してみたいなぁと思うオイラなのだ。
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今日は雨ですよ~
だけどオイラは行かねばならない場所がある
なんとしても見てみたいモノがあるのだ。
それは年に一回だけ、
本日午後の数分間だけ見ることができるものなのだ。
それは・・・・・・・、
(もったいぶってるけど、タイトルに出てるって)
加賀市のとある場所にある
斎藤別当実盛の鏡である。
斎藤別当実盛といえば、
松尾芭蕉がその生涯の悲劇を詠んだ
「むざんやな かぶとのしたの きりぎりす」でも有名だ。
斎藤実盛(さいとうさねもり)源平時代の頃の話になる。
1111年に生まれた実盛は成長とともに幾たびの戦いを行います。
そんな戦いのなかで敵方であった幼少の木曽義仲を救い信州へ送り届けたこともありました。
時代がたって実盛も年老いた武将となりました。
1183年に信州で挙兵し北国街道を進撃する木曽義仲を討つべく平維盛を総大将として実盛も出陣します。実盛は維盛より拝領した赤地錦の直垂をまとい、老齢を敵に侮られぬようにと白髪を黒く染めて戦いに臨みました。これが最期の戦いと覚悟をしていたようです。そして加賀国の篠原の戦いにおいて、勢いにのる義仲軍の前に味方が崩れるなか、実盛は最前線に踏みとどまって孤軍奮戦し、敵方の手塚太郎光盛との戦いの末に討ち取られる、享年73歳だった。
実盛は最後まで名乗らなかったため、敵も実盛であることがわかりませんでしたが、首実検の際に義仲側近の樋口兼光が気づき、義仲が実盛の髪を池で洗わせたところ、白髪となって、紛れもなく実盛とわかりました。義仲は幼少の自分を守って、信州に送り届けてくれた命の恩人の最期に、人目もはばからず泣き崩れたといいます。
今日のために調べようと先日図書館で借りてきた本です。
本の表紙のように、斎藤実盛は老齢を隠す為に白髪白髭を黒に染めて出陣したんです。
その際に用いたのが今回拝見したい貴重な鏡なのだ。
この左手に持ってる小さな鏡だ。
ではなぜその鏡が、一年に一回しか見ることができないのかというと・・・
なんと鏡は池の中にあって、
今日が年に一回の清掃日で水抜きを行う日だからだ。
さて行こう
あいにくの雨っす
まずその池の前に寄ったのが、
斎藤実盛が討ち取られた場所である篠原古戦場だ。
実盛塚。
この地で孤軍奮戦するも、実盛は討ち取られる。
実盛の首は、
少し離れた池で洗われ(首洗い池)
義仲と再開するのだ。
首を抱え泣き叫ぶ義仲像である。
斎藤実盛の甲は、義仲の命により多太神社に手厚く奉納される。
さて鏡のある池だが、それは深田という集落にある。
12時に着いた、看板もある。
前に来たことがあるのですんなりと来られた。
空き地に車を停めて、
150Mほど歩くのだ。
あそこ
あれ?誰もいない・・・
ひょっとして、この雨で清掃は中止となったのだろうか!
池を見る・・・。
この小さな池の中にあの鏡があるのだ。
ふむふむ
あぁ残念だなぁ
でも待てよ、たしか午後から行われるので少し早すぎたかも
違う場所で時間を潰してまた来よう。
日本海荒れてますね~
加佐の岬にも源平合戦の場所がある。
それはオシャレなお店の奥の林の中にある。
誰も知らないだろうなぁ・・
この林の中を少し歩くと
篠原合戦戦死者埋葬地の石碑なるものが出てくる。
平氏軍が多く戦死した場所である。
倶利伽羅峠で大敗してから、宮越、根上、安宅、篠原と負け続けて、
背後に岸壁があるこの場所で起死回生の背水の陣で迎えたが、もはや平氏軍の多くは戦意喪失しており、この地で多くの戦死者が出たという。
さて時刻は午後1時になった、清掃開始する時間である、
あの鏡の池に行ってみよう。
あっ!
やってる!やってる!
町内の方の池の清掃活動だ。
ポンプで池の水を勢いよく排水している。
この雨の中、草刈りまでやられてます。
ご苦労様です。
池の水が大分減ってきた。
10人で作業されていました。
あれ?
鏡は、
あそこにあるのか!
てっきり池の底にあるものだと思っていた。
あっ取りだした!
渡したぞ
運んで・・・
洗ってる!
町内の人がオイラに向けて手招きしてくれた!
“ヘ(゜▽゜*)オイデオイデ
近くで写していいよという合図だ
了解です~
おお!
(大変貴重ゆえ、一旦モザイクします)
何、何!
バケツをひっくり返して
その上に置くー!!!
(近く斎藤実盛特集しますんで、その際には公開しま~す)
これぞ斎藤別当実盛の鏡!
へっ、へい、平安時代のものだぞ((;゚Д゚)ガクガクブルブル)
さわっちゃいましたー!!!
きゃー900年前の鏡にさわってる~
斎藤実盛が持ったこの鏡ですよ~!
大感動です!
池の底に溜まった落ち葉や泥を数人がかりでかき出して、
作業はテキパキと進み、
大切な鏡を元の位置に戻して、水を入れました。
いや~今回は見るのも難しいかなと思っていたんだが、
あんなに近くで、しかも触ることができたなんて信じられないです~。
深田町の方々、ありがとうございました~
※斎藤別当実盛については、もう少し勉強して、今回の鏡と多太神社にある甲(これも以前撮影できてる)のアップ含めて特集記事を作成したいと思ってます
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だけどオイラは行かねばならない場所がある
なんとしても見てみたいモノがあるのだ。
それは年に一回だけ、
本日午後の数分間だけ見ることができるものなのだ。
それは・・・・・・・、
(もったいぶってるけど、タイトルに出てるって)
加賀市のとある場所にある
斎藤別当実盛の鏡である。
斎藤別当実盛といえば、
松尾芭蕉がその生涯の悲劇を詠んだ
「むざんやな かぶとのしたの きりぎりす」でも有名だ。
斎藤実盛(さいとうさねもり)源平時代の頃の話になる。
1111年に生まれた実盛は成長とともに幾たびの戦いを行います。
そんな戦いのなかで敵方であった幼少の木曽義仲を救い信州へ送り届けたこともありました。
時代がたって実盛も年老いた武将となりました。
1183年に信州で挙兵し北国街道を進撃する木曽義仲を討つべく平維盛を総大将として実盛も出陣します。実盛は維盛より拝領した赤地錦の直垂をまとい、老齢を敵に侮られぬようにと白髪を黒く染めて戦いに臨みました。これが最期の戦いと覚悟をしていたようです。そして加賀国の篠原の戦いにおいて、勢いにのる義仲軍の前に味方が崩れるなか、実盛は最前線に踏みとどまって孤軍奮戦し、敵方の手塚太郎光盛との戦いの末に討ち取られる、享年73歳だった。
実盛は最後まで名乗らなかったため、敵も実盛であることがわかりませんでしたが、首実検の際に義仲側近の樋口兼光が気づき、義仲が実盛の髪を池で洗わせたところ、白髪となって、紛れもなく実盛とわかりました。義仲は幼少の自分を守って、信州に送り届けてくれた命の恩人の最期に、人目もはばからず泣き崩れたといいます。
今日のために調べようと先日図書館で借りてきた本です。
本の表紙のように、斎藤実盛は老齢を隠す為に白髪白髭を黒に染めて出陣したんです。
その際に用いたのが今回拝見したい貴重な鏡なのだ。
この左手に持ってる小さな鏡だ。
ではなぜその鏡が、一年に一回しか見ることができないのかというと・・・
なんと鏡は池の中にあって、
今日が年に一回の清掃日で水抜きを行う日だからだ。
さて行こう
あいにくの雨っす
まずその池の前に寄ったのが、
斎藤実盛が討ち取られた場所である篠原古戦場だ。
実盛塚。
この地で孤軍奮戦するも、実盛は討ち取られる。
実盛の首は、
少し離れた池で洗われ(首洗い池)
義仲と再開するのだ。
首を抱え泣き叫ぶ義仲像である。
斎藤実盛の甲は、義仲の命により多太神社に手厚く奉納される。
さて鏡のある池だが、それは深田という集落にある。
12時に着いた、看板もある。
前に来たことがあるのですんなりと来られた。
空き地に車を停めて、
150Mほど歩くのだ。
あそこ
あれ?誰もいない・・・
ひょっとして、この雨で清掃は中止となったのだろうか!
池を見る・・・。
この小さな池の中にあの鏡があるのだ。
ふむふむ
あぁ残念だなぁ
でも待てよ、たしか午後から行われるので少し早すぎたかも
違う場所で時間を潰してまた来よう。
日本海荒れてますね~
加佐の岬にも源平合戦の場所がある。
それはオシャレなお店の奥の林の中にある。
誰も知らないだろうなぁ・・
この林の中を少し歩くと
篠原合戦戦死者埋葬地の石碑なるものが出てくる。
平氏軍が多く戦死した場所である。
倶利伽羅峠で大敗してから、宮越、根上、安宅、篠原と負け続けて、
背後に岸壁があるこの場所で起死回生の背水の陣で迎えたが、もはや平氏軍の多くは戦意喪失しており、この地で多くの戦死者が出たという。
さて時刻は午後1時になった、清掃開始する時間である、
あの鏡の池に行ってみよう。
あっ!
やってる!やってる!
町内の方の池の清掃活動だ。
ポンプで池の水を勢いよく排水している。
この雨の中、草刈りまでやられてます。
ご苦労様です。
池の水が大分減ってきた。
10人で作業されていました。
あれ?
鏡は、
あそこにあるのか!
てっきり池の底にあるものだと思っていた。
あっ取りだした!
渡したぞ
運んで・・・
洗ってる!
町内の人がオイラに向けて手招きしてくれた!
“ヘ(゜▽゜*)オイデオイデ
近くで写していいよという合図だ
了解です~
おお!
(大変貴重ゆえ、一旦モザイクします)
何、何!
バケツをひっくり返して
その上に置くー!!!
(近く斎藤実盛特集しますんで、その際には公開しま~す)
これぞ斎藤別当実盛の鏡!
へっ、へい、平安時代のものだぞ((;゚Д゚)ガクガクブルブル)
さわっちゃいましたー!!!
きゃー900年前の鏡にさわってる~
斎藤実盛が持ったこの鏡ですよ~!
大感動です!
池の底に溜まった落ち葉や泥を数人がかりでかき出して、
作業はテキパキと進み、
大切な鏡を元の位置に戻して、水を入れました。
いや~今回は見るのも難しいかなと思っていたんだが、
あんなに近くで、しかも触ることができたなんて信じられないです~。
深田町の方々、ありがとうございました~
※斎藤別当実盛については、もう少し勉強して、今回の鏡と多太神社にある甲(これも以前撮影できてる)のアップ含めて特集記事を作成したいと思ってます
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ブラタモリ初登場県が確定した。
(NHKオンライン:ブラタモリより)
<発表>
鳥取県(9/8放送)
そしてテーマは・・・・
~なぜ鳥取砂丘は人をひきつける?~
なので、
当たり!!!
テーマに砂丘のワードが入りました。
いぇ~い
<結果>
鳥取県〇
<結果>
秋田県〇
和歌山県〇
高知県×
富山県×
岐阜県×
滋賀県×
宮崎県×
山口県×
鳥取県〇
<ルール>
2017/8/12時点でブラタモリでまだ放送されていない次の13県。
秋田県、山形県、富山県、福井県、岐阜県、和歌山県、滋賀県、山口県、鳥取県、徳島県、高知県、佐賀県、宮崎県
その回のテーマを予想しちゃう。
1県につき、テーマのワードを2つまであげる。
そのいずれかが当れば正解
2回に渡って行われそれぞれ別のテーマがある場合でも2つの予想ワードの一つがヒットすれば正解
そして13県のうち過半数の7県以上当れば合格としよう。
<予想>
秋田県・・・美人、湖⇒十和田湖はなぜ神秘の湖に?
山形県・・・盆地、最上川
富山県・・・富山湾、水⇒黒部ダムは なぜ秘境につくられた?
福井県・・・発祥、海
岐阜県・・・天下、境⇒岐阜は 信長が夢見た“平和の都”!?
和歌山県・・・高野山、熊野⇒高野山は空海テーマパーク!?
滋賀県・・・琵琶湖、商人⇒なぜ 家康は“彦根がイイ”と思った?
山口県・・・明治、毛利⇒萩はなぜ 世界遺産になった?
鳥取県・・・砂丘、海⇒なぜ鳥取砂丘は人をひきつける?
徳島県・・・踊り、巡礼
高知県・・・志士、幕末⇒高知の町はなぜ龍馬を生んだ?
佐賀県・・・干潟、近代
宮崎県・・・メッカ、伝説⇒なぜ 宮崎は“南国リゾート”になった?
はい3勝6敗です。
ギリ持ちこたえたぞ!
今後一敗もできません。
残りは、
山形県、福井県、徳島県、佐賀県でござい。
昨日の戦争の流れから、
そういった場所に行きたいなぁと考えてみたら、
思いついたのは石川護國神社だった。
由緒を見てみると、その昔は招魂社として卯辰山にあったんだって、
どーん!
大東亜聖戦大碑
裏には八紘為宇と書いてあります。
八紘一宇は聞いたことあるけど・・・、
では、
かっこいいです。
うむ、ここは身が引き締まるね。
おっ!
さすが護國神社の絵馬です。
一式戦闘機「隼」
空母加賀だぁ!
航空母艦「加賀」
ここにはいろいろな石碑があって、
シベリア抑留者慰霊之碑
歩兵第八十三連隊之碑
ミレー島戦士の碑
愛馬之碑か、昨日訪れた野間神社でもありました。
ニンジンが供えられてる
なるほど
ではと、
護國神社をあとにして、すぐ近くの兼六園に行く。
今日は県民無料の日だからね
巨木がすごい
いい感じです。
山崎山
なかなかいいです。
ワンダフル!
やっぱ兼六園は、
どの時期に来てもいいね
亀の頭も直ってるね
兼六園isナンバーワン公園だ!
蓮の花
兼六園をあとにして、
東京国立近代美術館工芸館移転整備工事
この周辺は将来こうなります。
いいね
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そういった場所に行きたいなぁと考えてみたら、
思いついたのは石川護國神社だった。
由緒を見てみると、その昔は招魂社として卯辰山にあったんだって、
どーん!
大東亜聖戦大碑
裏には八紘為宇と書いてあります。
八紘一宇は聞いたことあるけど・・・、
では、
かっこいいです。
うむ、ここは身が引き締まるね。
おっ!
さすが護國神社の絵馬です。
一式戦闘機「隼」
空母加賀だぁ!
航空母艦「加賀」
ここにはいろいろな石碑があって、
シベリア抑留者慰霊之碑
歩兵第八十三連隊之碑
ミレー島戦士の碑
愛馬之碑か、昨日訪れた野間神社でもありました。
ニンジンが供えられてる
なるほど
ではと、
護國神社をあとにして、すぐ近くの兼六園に行く。
今日は県民無料の日だからね
巨木がすごい
いい感じです。
山崎山
なかなかいいです。
ワンダフル!
やっぱ兼六園は、
どの時期に来てもいいね
亀の頭も直ってるね
兼六園isナンバーワン公園だ!
蓮の花
兼六園をあとにして、
東京国立近代美術館工芸館移転整備工事
この周辺は将来こうなります。
いいね
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今日は朝は雨、午後から曇の一日でした。
あるテーマに沿って2か所の場所に行ったのですが、
この場所の事を知ったのはいずれも今年に入ってからのことでした。
先の大戦である第二次世界大戦において石川県にとって知りたくなかった黒歴史があった。
地元も歴史も大好きなオイラですが、恥ずかしながらこの事は全く知らなかったのです。
まず最初に行ったのが、
金沢市小坂にある野間神社。
なんの変哲もないどこにでもある郷社の神社ですが、
なんとここは、あの731部隊と関わり合いがあった神社なのです。
731部隊・・・
第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は関東軍防疫給水部本部で731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略。
満州に拠点をおいて兵士の感染症予防や衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされている。
元731部隊員の複数の証言によれば、人体実験の被験者は主に捕虜やスパイ容疑者として拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼称され、その中には、一般市民、女性や子供が含まれていた。
敢えて、人体実験の内容は掲載しませんが(書くに堪えない)、本当にひどい事をしていた悪魔の部隊である。
それがこの野間神社とどういう関係かというと、
1945年8月、敗戦とともに中国・ハルビンから日本に引き揚げた731部隊はここに仮本部を設け、1カ月弱の間、部隊の残務処理をしたといわれている。
731部隊の部隊長だった石井四郎らが旧制四高出身だったことや、周辺に旧金沢陸軍病院や旧日本陸軍第9師団の兵舎があって軍人がうろついていてもアレルギーのない地域だった。
(拝借)
なんと731部隊が、戦後しばらくこの神社に滞在したというのである。
さらにオイラにとって衝撃だったのは、
この野間神社、オイラ子供の頃何度か遊びに来たことがあったんです。
オイラの母方の実家はこの小坂町であって、小さい頃に大好きなお婆ちゃんと一緒に何度かこの神社のお祭りに来ていたのだ。
出店でお面を買ってもらった記憶がある、懐かしく楽しい思い出の場所でもあるのだ。
久しぶりに来たなぁ、40年ぶりくらいになるのかな・・・、
この神社は少し大通りから奥まった場所にある為、近くの道路を通過しても目にすることはないのである。
たしかに、
軍事的な雰囲気が少し強い感じもする。
ただそれほど大きな神社ではないから、
731部隊の残存数がどれほどいたかはわからないが、
こんな場所に滞在できたのだろうかね、
そんな情報はまったく近所の人も知らないと思うが、
静かな場所です。
今から70年も前に、
あの許されざる悪魔の部隊がこの場所に滞在していたのかと思うと、少し背筋が寒くなる思いがした・・・。
次の場所へ向かった。
金沢から遠く加賀東谷の山間部へ
いつもは静かなこの地、
今夜はビックイベントがあるようです。
加賀東谷の集落。
この地で恐るべき人物を生み出してしまったのである。
その者の名は、
先の大戦で悪魔の作戦参謀と呼ばれた・・・。
辻政信である。
辻 政信・・・
つじ まさのぶ(1902年(明治35年)10月11日 - 1968年(昭和43年)7月20日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士36期首席・陸大43期恩賜。軍人としての最終階級は陸軍大佐。
ノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導した。 軍事作戦指導では「作戦の神様」「軍の神様」と讃えられた。
その一方で、指揮系統を無視した現場での独善的な指導、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判がある。
敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓しベストセラーとなった。政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任した。参議院議員在任中の1961年(昭和36年)4月に視察先のラオスで行方不明となり、1968年(昭和43年)7月20日に死亡宣告がなされた。
恥ずかしながら、この人が石川県出身ということを知らなかった。
ブラオイラ#237で重伝建造地区である加賀東谷を訪れた際に、偶然生家を発見したのである。
辻政信か、
無謀な作戦を押し進め、多くの若者が戦地に散ってしまった。
ノモンハン、ガダルカナル・・・どれもこれも勝ち目のない最悪の作戦。
時代が狂っていたとか、誰しも責任があるとか、そう評論する人もいるが、
そんなバカな話はない。
当時の若者兵の命を紙切れのごとく軽く扱っておきながら、自分自身は戦後も生き延びて、
驚くなかれ政治家までなってるとは、怒りを通り越して呆れるばかりだ。
村の外れに、
それはあった。
なんと彼の銅像である。
地区にとっては、先生というところか、
それにしても、なんと威圧的なポーズだろう。
近づいて見上げる人に対し、指を差している・・・
何かを言わんとしているようだ。
辻の晩年は謎である。
東南アジアを視察で出向きラオスで消息を絶っている。動物に襲われたか、現地の反政府軍に殺されたか、
遺体も発見されず、裁判所による死亡宣告により死が確定した。
ちなみに死亡宣告は1969年(昭和44年)6月28日に行われた。
オイラが誕生した年である。
今日は何とも重い内容のブラオイラとなった。
幼少の頃に遊んだ神社が、あの悪魔の731部隊の滞在地だったり、
悪魔の作戦参謀と呼ばれた辻政信が石川出身だったり、
この者達のせいで多くの命が犠牲となった。
死にたくない、生きたいのに生きることができなかった多くの若者がいたこと・・・・、
それだけは忘れてはならないのだ。
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あるテーマに沿って2か所の場所に行ったのですが、
この場所の事を知ったのはいずれも今年に入ってからのことでした。
先の大戦である第二次世界大戦において石川県にとって知りたくなかった黒歴史があった。
地元も歴史も大好きなオイラですが、恥ずかしながらこの事は全く知らなかったのです。
まず最初に行ったのが、
金沢市小坂にある野間神社。
なんの変哲もないどこにでもある郷社の神社ですが、
なんとここは、あの731部隊と関わり合いがあった神社なのです。
731部隊・・・
第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は関東軍防疫給水部本部で731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略。
満州に拠点をおいて兵士の感染症予防や衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされている。
元731部隊員の複数の証言によれば、人体実験の被験者は主に捕虜やスパイ容疑者として拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼称され、その中には、一般市民、女性や子供が含まれていた。
敢えて、人体実験の内容は掲載しませんが(書くに堪えない)、本当にひどい事をしていた悪魔の部隊である。
それがこの野間神社とどういう関係かというと、
1945年8月、敗戦とともに中国・ハルビンから日本に引き揚げた731部隊はここに仮本部を設け、1カ月弱の間、部隊の残務処理をしたといわれている。
731部隊の部隊長だった石井四郎らが旧制四高出身だったことや、周辺に旧金沢陸軍病院や旧日本陸軍第9師団の兵舎があって軍人がうろついていてもアレルギーのない地域だった。
(拝借)
なんと731部隊が、戦後しばらくこの神社に滞在したというのである。
さらにオイラにとって衝撃だったのは、
この野間神社、オイラ子供の頃何度か遊びに来たことがあったんです。
オイラの母方の実家はこの小坂町であって、小さい頃に大好きなお婆ちゃんと一緒に何度かこの神社のお祭りに来ていたのだ。
出店でお面を買ってもらった記憶がある、懐かしく楽しい思い出の場所でもあるのだ。
久しぶりに来たなぁ、40年ぶりくらいになるのかな・・・、
この神社は少し大通りから奥まった場所にある為、近くの道路を通過しても目にすることはないのである。
たしかに、
軍事的な雰囲気が少し強い感じもする。
ただそれほど大きな神社ではないから、
731部隊の残存数がどれほどいたかはわからないが、
こんな場所に滞在できたのだろうかね、
そんな情報はまったく近所の人も知らないと思うが、
静かな場所です。
今から70年も前に、
あの許されざる悪魔の部隊がこの場所に滞在していたのかと思うと、少し背筋が寒くなる思いがした・・・。
次の場所へ向かった。
金沢から遠く加賀東谷の山間部へ
いつもは静かなこの地、
今夜はビックイベントがあるようです。
加賀東谷の集落。
この地で恐るべき人物を生み出してしまったのである。
その者の名は、
先の大戦で悪魔の作戦参謀と呼ばれた・・・。
辻政信である。
辻 政信・・・
つじ まさのぶ(1902年(明治35年)10月11日 - 1968年(昭和43年)7月20日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士36期首席・陸大43期恩賜。軍人としての最終階級は陸軍大佐。
ノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導した。 軍事作戦指導では「作戦の神様」「軍の神様」と讃えられた。
その一方で、指揮系統を無視した現場での独善的な指導、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判がある。
敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓しベストセラーとなった。政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任した。参議院議員在任中の1961年(昭和36年)4月に視察先のラオスで行方不明となり、1968年(昭和43年)7月20日に死亡宣告がなされた。
恥ずかしながら、この人が石川県出身ということを知らなかった。
ブラオイラ#237で重伝建造地区である加賀東谷を訪れた際に、偶然生家を発見したのである。
辻政信か、
無謀な作戦を押し進め、多くの若者が戦地に散ってしまった。
ノモンハン、ガダルカナル・・・どれもこれも勝ち目のない最悪の作戦。
時代が狂っていたとか、誰しも責任があるとか、そう評論する人もいるが、
そんなバカな話はない。
当時の若者兵の命を紙切れのごとく軽く扱っておきながら、自分自身は戦後も生き延びて、
驚くなかれ政治家までなってるとは、怒りを通り越して呆れるばかりだ。
村の外れに、
それはあった。
なんと彼の銅像である。
地区にとっては、先生というところか、
それにしても、なんと威圧的なポーズだろう。
近づいて見上げる人に対し、指を差している・・・
何かを言わんとしているようだ。
辻の晩年は謎である。
東南アジアを視察で出向きラオスで消息を絶っている。動物に襲われたか、現地の反政府軍に殺されたか、
遺体も発見されず、裁判所による死亡宣告により死が確定した。
ちなみに死亡宣告は1969年(昭和44年)6月28日に行われた。
オイラが誕生した年である。
今日は何とも重い内容のブラオイラとなった。
幼少の頃に遊んだ神社が、あの悪魔の731部隊の滞在地だったり、
悪魔の作戦参謀と呼ばれた辻政信が石川出身だったり、
この者達のせいで多くの命が犠牲となった。
死にたくない、生きたいのに生きることができなかった多くの若者がいたこと・・・・、
それだけは忘れてはならないのだ。
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長かった夏休みが終わり、週明けから新学期が始まるこの土日に、
死を考える若者が多いということはすでに承知の通りです。
LINEニュースで表示される鉄道人身事故の文字を見て心が痛みます。
微力ながら、少しでも生きるヒントになればと、
以前投稿した記事を再掲します。
---------------------------------------------------
いろいろ人生には辛いことが起こるわけで、
いなくなりたいと思うことも人間だれしも思うわけで、
でもあの出来事を見届けないでいってしまっていいのかい・・・。
オイラの場合、
今後未来に起こる、あの出来事を見届けるまでは死ぬに死ねないのだ・・・。
それは次のとおり。
年月がほぼ確定しているものでは、
〇新元号発表・・・2018年
〇天皇退位・新天皇即位・・・2019年
〇東京オリンピック・・・2020年
〇北陸新幹線敦賀延伸・・・2022年
〇中央リニア新幹線開業・・・2027年
〇北陸新幹線の大阪開通・・・2030年
〇ケネディ暗殺情報公開・・・2039年
年月は確定されないけど、
おそらくこのくらいということで、
〇北朝鮮崩壊・・・2018年頃
〇ワンピース最終回・・・2027年頃
これは想定もできないけど、
〇人類初の地球外知的生命体との接触・・・20**年
・・・・・・・・・だからオイラの場合、今後起こるあの出来事を見届けるまでは死ぬに死ねないのだ。
きっと誰しも未来に起こることで興味があることってあると思うんだよね、
それらを見届ける前にいなくなるなんて、絶対後悔する。
静かに生きていってもいいじゃない。
--------------------------------------------------------
「生きてるだけでまるもうけ」という話もあることだし、
学校なんて行かなくてもいいから、生きていこうよ。
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LINEニュースで表示される鉄道人身事故の文字を見て心が痛みます。
微力ながら、少しでも生きるヒントになればと、
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---------------------------------------------------
いろいろ人生には辛いことが起こるわけで、
いなくなりたいと思うことも人間だれしも思うわけで、
でもあの出来事を見届けないでいってしまっていいのかい・・・。
オイラの場合、
今後未来に起こる、あの出来事を見届けるまでは死ぬに死ねないのだ・・・。
それは次のとおり。
年月がほぼ確定しているものでは、
〇新元号発表・・・2018年
〇天皇退位・新天皇即位・・・2019年
〇東京オリンピック・・・2020年
〇北陸新幹線敦賀延伸・・・2022年
〇中央リニア新幹線開業・・・2027年
〇北陸新幹線の大阪開通・・・2030年
〇ケネディ暗殺情報公開・・・2039年
年月は確定されないけど、
おそらくこのくらいということで、
〇北朝鮮崩壊・・・2018年頃
〇ワンピース最終回・・・2027年頃
これは想定もできないけど、
〇人類初の地球外知的生命体との接触・・・20**年
・・・・・・・・・だからオイラの場合、今後起こるあの出来事を見届けるまでは死ぬに死ねないのだ。
きっと誰しも未来に起こることで興味があることってあると思うんだよね、
それらを見届ける前にいなくなるなんて、絶対後悔する。
静かに生きていってもいいじゃない。
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