マツコ・デラックスさんが夜に散歩する番組を見ていたら、
立て続けに道で会った大学生が
「おもしろいことを言わなきゃ…」
的なことを言ってました。
それを見ていたわたしは、
「一般の人が一般の人として出演するのだから
おもしろいことなど言ってはダメなのだ」
と思っていました。
名のないツマラナイ人間としての役割に徹するのが、
テレビに出ない人間がとるべき所作だ。
でもバラエティ番組で
おもしろいことが正しいという風潮になっている今を反映しているのかも、
などと賢(かしこ)ぶってたんです。
先日、
ラジオに投稿が読まれました。
何度か読まれる経験はしているのですが、
そのたびにうれしい半面、
「なぜこんなにも自分はおもしろくないのか」と自己嫌悪に陥ります。
あの時の大学生たちと一緒です。
自分がもっと面白い人間だと勘違いしているんです。
いざ白日のもとにさらされてみると、
自分はまったく当たり前のことを
なんのひねりもなく言う
芸のない人間ということが分かってしまう。
だから落ち込んでる。
客観的に自分を見たら、超つまんない人間で、それを受け入れるのに抵抗を感じているのだ。
結構な大人になってから
こんなことが分かるなんて恥ずかしいです。
さらに
ラジオネーム(ペンネーム)が恥ずかしくて自慢できないっていうリスナーの悩み。
けっこうラジオあるあるだし、
それをラジオで聴いてたときは、
「どんなひどいラジオネームでも別に他の人は何とも思わないよぉ、自意識高いなー」、
と思ってたのに、
いざ自分でまったく同じ状況になると
本当に恥ずかしくて他人におおっぴらに自慢できない。
自分がまったくの小庶民であることが判明した。
人の思ってることはけっこう自分も思うってこと。
立て続けに道で会った大学生が
「おもしろいことを言わなきゃ…」
的なことを言ってました。
それを見ていたわたしは、
「一般の人が一般の人として出演するのだから
おもしろいことなど言ってはダメなのだ」
と思っていました。
名のないツマラナイ人間としての役割に徹するのが、
テレビに出ない人間がとるべき所作だ。
でもバラエティ番組で
おもしろいことが正しいという風潮になっている今を反映しているのかも、
などと賢(かしこ)ぶってたんです。
先日、
ラジオに投稿が読まれました。
何度か読まれる経験はしているのですが、
そのたびにうれしい半面、
「なぜこんなにも自分はおもしろくないのか」と自己嫌悪に陥ります。
あの時の大学生たちと一緒です。
自分がもっと面白い人間だと勘違いしているんです。
いざ白日のもとにさらされてみると、
自分はまったく当たり前のことを
なんのひねりもなく言う
芸のない人間ということが分かってしまう。
だから落ち込んでる。
客観的に自分を見たら、超つまんない人間で、それを受け入れるのに抵抗を感じているのだ。
結構な大人になってから
こんなことが分かるなんて恥ずかしいです。
さらに
ラジオネーム(ペンネーム)が恥ずかしくて自慢できないっていうリスナーの悩み。
けっこうラジオあるあるだし、
それをラジオで聴いてたときは、
「どんなひどいラジオネームでも別に他の人は何とも思わないよぉ、自意識高いなー」、
と思ってたのに、
いざ自分でまったく同じ状況になると
本当に恥ずかしくて他人におおっぴらに自慢できない。
自分がまったくの小庶民であることが判明した。
人の思ってることはけっこう自分も思うってこと。