ある方に骨を折ってもらって、とある勉強会に参加できるようになった。その会の「宿題」として長文問題を使って「定期考査」を作れという課題が出た。参加者間で作問アイディアを交換する材料とするわけだ。
定期考査の作問といえば、ちょっとした思いがあって、昨年は他校のいろいろな先生方にどのような考査問題を作っておられるか聞いて回っていたのだ。
きっかけは同僚の指摘である。それまで自分(あるいは自分の勤務校)はいわゆる「和訳」の問題を定期テストで出題することは極力控えていた。
ところが、ご年配の同僚が増え学年団を組む過半数の指導者が和訳を定期考査に課すことを望んだのだ。曰く、大学入試で出題される形式が定期考査で課されないのはおかしいと。
これに対しては真っ向から反対するという選択肢もあろう。しかし、一歩譲って考えてみるた。日本語で答えさせる問題は本当に定期考査では一切使うべきではないのだろうか。その可能性を改めて問い直す意味で、定期考査における日本語で答えさせる問題の意義について多くの方に聞いてみたいと思ったのだ。
結果的には多くの方が、「点数をとらせるための問題?」として、ある程度は和訳などの問題を組み込んでいるという答えだった。
そんな中で一番納得できた(そして予想どおりだった)答えは当時、筑駒にお勤めだった久保野先生である。
リーディングの力は一度読んだ教材では測れない。ただし、定期テストで全ての課題文を初見のものにすることはできない。そこで、既習の文を使った問題は前置詞やイディオム表現などを書き入れる問題にする。内容を問う問題はパラレルな文(章)を用意し、そこから出題する。
パラレルな文章とは、扱う題材に共通性がある文章や使われる語彙や表現に共通性のある文章である。インターネットがある現在では内容的にパラレルな文章は簡単に入手できる。教材によっては初めから付属している場合もある。
今では、定期考査においてもある程度は初見の文章を出題するようにしていて、そこから日本語で答えさせる問題も出題するようにしている。もちろん、たとえ初見の文であっても和訳を問うことには反対だという方も沢山おられるでしょうけど。
定期考査の作問といえば、ちょっとした思いがあって、昨年は他校のいろいろな先生方にどのような考査問題を作っておられるか聞いて回っていたのだ。
きっかけは同僚の指摘である。それまで自分(あるいは自分の勤務校)はいわゆる「和訳」の問題を定期テストで出題することは極力控えていた。
ところが、ご年配の同僚が増え学年団を組む過半数の指導者が和訳を定期考査に課すことを望んだのだ。曰く、大学入試で出題される形式が定期考査で課されないのはおかしいと。
これに対しては真っ向から反対するという選択肢もあろう。しかし、一歩譲って考えてみるた。日本語で答えさせる問題は本当に定期考査では一切使うべきではないのだろうか。その可能性を改めて問い直す意味で、定期考査における日本語で答えさせる問題の意義について多くの方に聞いてみたいと思ったのだ。
結果的には多くの方が、「点数をとらせるための問題?」として、ある程度は和訳などの問題を組み込んでいるという答えだった。
そんな中で一番納得できた(そして予想どおりだった)答えは当時、筑駒にお勤めだった久保野先生である。
リーディングの力は一度読んだ教材では測れない。ただし、定期テストで全ての課題文を初見のものにすることはできない。そこで、既習の文を使った問題は前置詞やイディオム表現などを書き入れる問題にする。内容を問う問題はパラレルな文(章)を用意し、そこから出題する。
パラレルな文章とは、扱う題材に共通性がある文章や使われる語彙や表現に共通性のある文章である。インターネットがある現在では内容的にパラレルな文章は簡単に入手できる。教材によっては初めから付属している場合もある。
今では、定期考査においてもある程度は初見の文章を出題するようにしていて、そこから日本語で答えさせる問題も出題するようにしている。もちろん、たとえ初見の文であっても和訳を問うことには反対だという方も沢山おられるでしょうけど。