「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

新学習指導要領案勉強会

2009-01-06 12:39:47 | 研修
昨日は松井孝志先生に誘われて新学習指導要領案の勉強会で広島へ。発表以来、大手新聞の記事を集めておいただけで、特に精査もしておらず恥ずかしい限りだが、それだけに自分にとっては得るものが多いだろうと期待して参加した。

オールイングリッシュに関する議論はほとんどなく、さすが目の付けどころが違うという感じ。自分から発信できるものは何も持ち合わせていずROM(LOM?)状態だったが、私なりにその場で感じたことは多く有意義であった。

松井先生をはじめ参加された他の先生方の言葉の中で覚えておきたいものは多かったが、それらはここではなるべく触れないこととしたい。それぞれの先生方が個々で発信されるでしょうから。ただし、触れずにはおれないところに関しては勘弁してください。

まず、最初は解釈によってどのようにも取れる書き方はまずいのではないかと言うこと。件のオールイングリッシュ一つとっても、どれだけ本気なのだろうか。

比較的最近どこかで聞いた色々な話を思い起こさせるような表現があちこちに見られ八方美人の印象。いったい文科省としてどこへ向かいたいのか姿勢がよく分からない。

もっと具体的に言えば、例えば専門分野の論文が読めるようないわゆる理系で必要とされる英語力をしっかり養成したいのか、それとも表層的な情報を得る以上の深い解釈ができるようにしたいのかなど。

それでいて、かなり多くの人が同意するであろう第二言語を学ぶ上での読解の力の重要性に関しては、技能統合という大前提の下で一歩引いてしまったのではと取られても仕方のない記述である。この点は他の3技能についてもあてはまり、それぞれの技能においてどのような発達段階が想定されているのか見え辛いものになっている。

PISAの結果が振るわないことをうけての改訂の方向性なのだろうが、そもそもあるテストの結果が悪かったから同じテストでスコアが上がるような指導に変えようという姿勢自体、国家レベルでの教育への向き合い方としては「せこい」のではないだろうか。

前日たまたま金谷先生の「エッセイ」を読んでいたので、「実践的コミュニケーション能力」の「実践的」が消えているのに、「おおっ!」と思ったものの、その真意はこの言葉のグローバルスタンダード化とは全く別、というか逆のところにあるようである。

松井先生、参加された先生方、貴重な勉強の機会をありがとうございました。


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