「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

スレショールド・レベル

2009-01-08 01:16:46 | その他
先日の新指導要領案勉強会へ松井先生が持参された資料の一つに、欧州評議会によるスレショールド・レベルの翻訳バージョンがあった。ちょうど10年前に発行されたもので当時のことを思い出し非常に懐かしい気持ちになった。

そのころ私は自分のクラスに勤務校初となる1年間の留学生をチリから迎え入れていた。それがきっかけで日本語教育に興味を持ち、木曜日の午後は授業を開けてもらって隣の市で行われていたボランティア日本語教師養成講座に参加した。以前のエントリーで触れたカ行の調音に対する疑問もそのころに感じたものである。
http://blog.goo.ne.jp/zenconundrum/e/d52540d337eddf6fca0cf8975a2c6f7a

講座自体は多くをカバーするものではなかったが、日本語教育が自分の英語指導において何らかの突破口になるのではないかと感じていた。正直に告白すると当時の自分のSLAや外国語教授法の理論に関する知識の情報源として日本語教育は結構大きな部分を占めていた。本音を言えばREXに繋がらないだろうかという野心があったのは確かですが。

その経験を通じて大まかな教授法の変遷や時代背景との関わりが掴めたことにより、この分野の物事を評価するときのある種の定点が自分の中にできたと思っている。とくに、欧州系の狭義コミュニカティブ・アプローチとクラッシェンのモニターモデルで一つのピークに達した米国流のコミュニカティブ・アプローチの間の「差」をしっかり意識できたことは大きかった。

私はクラッシェンに大きな影響を受けていたので、ヨーロッパ系のCAには、もともとそれほど関心があったわけではなかっのだが、それでもあの「スレショールド・レベル」の翻訳バージョンが出たときには、絶対に手元に置いておかなければならない資料だという認識はあったのだ。

ところが、2003年にロッド・エリスのTBLTに関するワークショップに初めて参加したときに、私の欧州系CAに対する興味は大方消し去られることになった。氏はその理論的基盤となるN/Fシラバスに関して以下のように切って捨てたのである。

「N/F シラバス(狭義のコミュニカティブ・アプローチ)は斬新な教授法のように受け入れられたが、実は学習項目リストが文法から概念・機能のリストに代わっただけである。パターンを学ぶという意味では何らAL法と変わりはない。N/Fシラバスは革命ではなく単なる政府の交代にすぎなかった。」

しかしながらその後、TBLT側からの歩み寄りの気配や現実的には折衷的に対処するしかないという思いに至ったこと、Can Do Statementなどの重要性が無視できなくなったことなどにより、進化を続ける欧州系教授法に再注目する必要性を感じているのである。


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