「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

神奈川新英研5月例会

2009-05-17 21:25:52 | 研修
予定通り神奈川新英研5月例会に参加。会場の大倉山記念館は東急の大倉山駅から線路沿いの坂を上ったところにある。趣のある建物でいい感じだが、坂をあがるのは結構大変で、大学時代を思い出した。

研修会は新英研らしく温かい雰囲気でこれもまたいい感じ。私よりかなりご年配の方から学生までと参加者がバラエティに富んでいるのも素晴らしい。町中の研究会ならではのことかと最初は思ったが、会を切り盛りしている方々のご尽力の賜物だということが時間の流れと共に分かってきた。

今回の主な目的は金谷憲先生のお話だが、それと同等以上に二人の先生方による実践報告もよかった。萩原先生のご発表は、まさに今の時代の王道とも言えるもので、オーラル・イントロダクションから音読を使ったインテイク、負荷を高めつつのアウトプット、テストへの反映に加え授業評価までのフルセット。しかも、それぞれに細かい配慮がしてあるから大いに参考になる。

「くだらない」と笑われるかもしれないが、私の場合、黒板に貼り付ける絵などは、教室にあるその辺のマグネットを使うのだが、小指の先大の板状マグネットを予め貼っておいた方が使い勝手がいいことが非常によくわかりました。

もう少しレベルの高いところでは、ペアシャドーイングよりも対面リピートの方が負荷が高いことが実感できたこと。相手が読み終わるまでのリテンションの分とシャドーイングと違ってごまかしが利かないという点で。自分の授業では時間の節約のため、もっぱらペアシャドーイングを用いていたのだ。

植野先生の実践は粘り強さそのものといった感じ。肌理細やかな指導の繰り返しで、学習事項の定着度はすごく高いのだろうと思う。

また、例えば「音読は内容理解が終わってから」のように、絶対的な真実のように語られることも疑ってみる余地を残しておかなければならないということも感じた。初見の文章をリアルタイムで理解しながら音読させるということも、場合によっては考えられないわけではないだろう。

初参加の余所者であるにもかかわらずお二方共にしっかり質問させていただいたのだが、面白かったのは「訳を配ることの教員間のコンセンサス」について話が及んだときのこと。どうやら都会の中学校の先生方は「訳を配ら(せ)ない」教員が多数派を占める田舎の高校の文化に心から驚かれたようであった。

訳読の授業で扱った英文の和訳問題が定期考査問題の大半だと言ったらきっと目が点になることでしょう。恥ずかしくてさすがにそこまでは言えませんでしたが。

さて、午後の金谷先生のお話は萩原先生の実践をなぞったようなものとなった。要は、インテイク活動を工夫し、生徒に飽きさせないようにしましょうといったもの。

的を射た質問をするなら、「シャドーイングを含めた負荷付き音読のバリエーションとそれぞれの長所短所(あるいは使うべき順番)についてどうお考えか」などだろうと思ったが、今回はどうしても「考えることをさせずにドリル的な活動を中心に授業を組み立てていいのか」について聞きたい気持ちを抑えられなかった。英語の授業まで「考える」ことを中心に据える必要はないと断言された潔さには敬服。ただし、このお言葉で自分の考えが変わったわけではありません。

研修は朝の10時から5時までと結構なボリュームだったが、あっという間に時間が過ぎたという印象。余所者であるにもかかわらず質問もしまくって引っ掻き回してしまった。新英研神奈川支部の皆さんごめんなさい。そして素晴らしい研修の機会をありがとうございました。

来週末はロッド・エリスでこれまた楽しみです。

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