河北新報社より転載
河北新報2014年1月20日(月)06:10
「避難決定に遅れ」 大川小津波災害・検証委、最終報告案
東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が死亡、行方不明となった石巻市大川小の津波災害をめぐり、第三者の事故検証委員会は19日、第9回会合を開き、最終報告書案を提示した。避難に関する教職員の意思決定が遅れた上、北上川の堤防に近い「三角地帯」を避難先に選んだことが「最大の直接的な要因」と結論付けた。公開の議論は今回が最後で、検証委は遺族の意見を踏まえて報告書をまとめ、2月中に市教委へ提出する。
報告書案は、教職員が迅速に意思決定していれば「もっと早い時点で避難が開始された可能性は否定できない」と指摘。背景の要因として教職員の危機意識の不足、学校の防災体制の甘さ、行政の情報伝達の不十分さなどを挙げた。
避難の経緯や経路などについては、決定に関わった教職員が全員死亡したとして、明確に示さなかった。
大川小の災害対応マニュアルは津波被害への備えが限定的で、より具体的な検討が行われなかったと推定。指導・助言する立場の市教委も「チェックの仕組みが欠落していた」と断じた。
教職員の津波に対する知識も十分ではなかったとした上で、多くが大川小勤務の経験が短く、「地理など学校周辺の状況を必ずしも熟知していなかった」と分析した。
遺族の不信感を強めた市教委の事後対応については、震災直後に対策本部を設けるなどしていれば「遺族らとの関係も変わった可能性があった」と判断。深い心的外傷を受けているとみられる児童からの聞き取りでも、保護者の了解をほとんど得なかったことなどを問題視した。
大川小の被害を教訓とする24項目の提言も提示。ハザードマップの啓発や災害対応マニュアルの在り方、教員養成課程の防災教育や教職員の危機管理研修の充実などを盛り込んだ。
検証委の説明に対し、遺族からは「証言の矛盾点や疑問点が少なくない」「検証作業が甘く、踏み込んで議論されていない」といった意見が相次いだ。
検証委は今月26日、遺族に対する報告会を開く。室崎益輝委員長は「最終報告までなお一層議論し、内容を詰めたい」と述べた。
◎判断ミス核心迫らず
【解説】石巻市大川小の事故検証委員会は1年近い調査を経て、多くの犠牲者が出た要因を「避難決定の遅れ」などと結論付けた。遺族はその「判断ミス」の究明を求めてきたが、最終報告書案でも核心部分は解き明かされなかった。
遺族の疑問は「なぜ50分間、校庭から避難しなかったのか」という点にあった。検証委は、教職員の危機意識の低さなどの背景を列挙したが、関係者の死亡などにより、「なぜ」には明確に答えられなかった。他にも証言の矛盾点があるなど、遺族にはもどかしさの残る形となった。
検証委は、市教委による検証に遺族が不信感を強め、文部科学省と宮城県教委の主導で設置された。「公正中立」を掲げた作業は、早い段階から遺族とずれが生じていた。背景要因を積み重ねて核心に迫る手法が「周辺の議論に時間をかけている」と映った。遺族は、独自の調査や市教委の調査の内容も反映させるよう再三求めた。検証委が確証を得られない内容の事実認定を避けたことなども、遺族には「自分たちの声が届かない」「『仕方がない』という結論ありき」と感じさせた。
学校管理下で前例のない大惨事の検証作業は、今後の学校防災に生かすことも目的だった。防災教育の充実などの提言を示し、大所的な役割は果たしたかもしれないが、わが子を失った遺族の無念に多少なりとも応えるという、本来の目的を達することは難しいと言わざるを得ない。(石巻総局・丹野綾子)
<最終報告案骨子>
・避難開始に関する教職員の意思決定が遅れ、避難先として河川堤防に近い「三角地帯」を選択したことが、最大の直接的要因と結論付けられる
・校庭に避難していた教職員の災害情報の収集は受け身、待ちの姿勢で、積極的に情報を集める姿勢が十分ではなかった
・教職員の津波に対する危機感は時間の経過とともに徐々に高まったが、即座に校庭からの避難を検討、決断するほど強くはなかった
・学校の災害対応マニュアルは津波災害を具体的に想定せず、防災体制の運営・管理が十分ではなかった
・教職員全体として津波・防災や危機管理に対する知識が十分ではなく、地理的条件など学校周辺の状況を熟知していなかった
・学校や市教委の被災直後の対応は十分と言い難く、児童や遺族、保護者へのケア対策も継続性、系統性が見られない
[大川小の津波災害]児童108人、教職員13人のうち児童70人、教職員10人が死亡し、児童4人は今も行方不明。難を逃れた子どもの多くは保護者が連れ帰り、学校で被災し助かったのは4人。児童や教員でただ1人生存した男性教諭らの話から、地震発生から津波到達まで約50分間校庭にとどまり、新北上大橋たもとの堤防道路(三角地帯)に移動する途中で津波に襲われたとみられる。
河北新報2014年1月20日(月)06:10
「避難決定に遅れ」 大川小津波災害・検証委、最終報告案
東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が死亡、行方不明となった石巻市大川小の津波災害をめぐり、第三者の事故検証委員会は19日、第9回会合を開き、最終報告書案を提示した。避難に関する教職員の意思決定が遅れた上、北上川の堤防に近い「三角地帯」を避難先に選んだことが「最大の直接的な要因」と結論付けた。公開の議論は今回が最後で、検証委は遺族の意見を踏まえて報告書をまとめ、2月中に市教委へ提出する。
報告書案は、教職員が迅速に意思決定していれば「もっと早い時点で避難が開始された可能性は否定できない」と指摘。背景の要因として教職員の危機意識の不足、学校の防災体制の甘さ、行政の情報伝達の不十分さなどを挙げた。
避難の経緯や経路などについては、決定に関わった教職員が全員死亡したとして、明確に示さなかった。
大川小の災害対応マニュアルは津波被害への備えが限定的で、より具体的な検討が行われなかったと推定。指導・助言する立場の市教委も「チェックの仕組みが欠落していた」と断じた。
教職員の津波に対する知識も十分ではなかったとした上で、多くが大川小勤務の経験が短く、「地理など学校周辺の状況を必ずしも熟知していなかった」と分析した。
遺族の不信感を強めた市教委の事後対応については、震災直後に対策本部を設けるなどしていれば「遺族らとの関係も変わった可能性があった」と判断。深い心的外傷を受けているとみられる児童からの聞き取りでも、保護者の了解をほとんど得なかったことなどを問題視した。
大川小の被害を教訓とする24項目の提言も提示。ハザードマップの啓発や災害対応マニュアルの在り方、教員養成課程の防災教育や教職員の危機管理研修の充実などを盛り込んだ。
検証委の説明に対し、遺族からは「証言の矛盾点や疑問点が少なくない」「検証作業が甘く、踏み込んで議論されていない」といった意見が相次いだ。
検証委は今月26日、遺族に対する報告会を開く。室崎益輝委員長は「最終報告までなお一層議論し、内容を詰めたい」と述べた。
◎判断ミス核心迫らず
【解説】石巻市大川小の事故検証委員会は1年近い調査を経て、多くの犠牲者が出た要因を「避難決定の遅れ」などと結論付けた。遺族はその「判断ミス」の究明を求めてきたが、最終報告書案でも核心部分は解き明かされなかった。
遺族の疑問は「なぜ50分間、校庭から避難しなかったのか」という点にあった。検証委は、教職員の危機意識の低さなどの背景を列挙したが、関係者の死亡などにより、「なぜ」には明確に答えられなかった。他にも証言の矛盾点があるなど、遺族にはもどかしさの残る形となった。
検証委は、市教委による検証に遺族が不信感を強め、文部科学省と宮城県教委の主導で設置された。「公正中立」を掲げた作業は、早い段階から遺族とずれが生じていた。背景要因を積み重ねて核心に迫る手法が「周辺の議論に時間をかけている」と映った。遺族は、独自の調査や市教委の調査の内容も反映させるよう再三求めた。検証委が確証を得られない内容の事実認定を避けたことなども、遺族には「自分たちの声が届かない」「『仕方がない』という結論ありき」と感じさせた。
学校管理下で前例のない大惨事の検証作業は、今後の学校防災に生かすことも目的だった。防災教育の充実などの提言を示し、大所的な役割は果たしたかもしれないが、わが子を失った遺族の無念に多少なりとも応えるという、本来の目的を達することは難しいと言わざるを得ない。(石巻総局・丹野綾子)
<最終報告案骨子>
・避難開始に関する教職員の意思決定が遅れ、避難先として河川堤防に近い「三角地帯」を選択したことが、最大の直接的要因と結論付けられる
・校庭に避難していた教職員の災害情報の収集は受け身、待ちの姿勢で、積極的に情報を集める姿勢が十分ではなかった
・教職員の津波に対する危機感は時間の経過とともに徐々に高まったが、即座に校庭からの避難を検討、決断するほど強くはなかった
・学校の災害対応マニュアルは津波災害を具体的に想定せず、防災体制の運営・管理が十分ではなかった
・教職員全体として津波・防災や危機管理に対する知識が十分ではなく、地理的条件など学校周辺の状況を熟知していなかった
・学校や市教委の被災直後の対応は十分と言い難く、児童や遺族、保護者へのケア対策も継続性、系統性が見られない
[大川小の津波災害]児童108人、教職員13人のうち児童70人、教職員10人が死亡し、児童4人は今も行方不明。難を逃れた子どもの多くは保護者が連れ帰り、学校で被災し助かったのは4人。児童や教員でただ1人生存した男性教諭らの話から、地震発生から津波到達まで約50分間校庭にとどまり、新北上大橋たもとの堤防道路(三角地帯)に移動する途中で津波に襲われたとみられる。